4.

 騒ぎを聞きつけて起きてきていた宿の主人に謝罪と口止めのための銀貨を数枚渡し、ラウェルスはナダの部屋に入った。田舎町のためここは元々一人部屋のない宿で、この部屋には寝台は二つあった。その二つのうち空いている方の寝台に、ラウェルスは不機嫌そうに寝転がって、おやすみ、と言った。
 それから数時間が経ったが、ナダは今度こそ本当に寝付かれなくなってしまっていた。初めてヴォーヌの塔の外の世界に出て、まだ二日しか経っていない。たったそれだけの間に遭遇した事件にしては、今夜のことは刺激が強すぎた。
 もぞもぞと寝返りを打つ。
 そのときに、ラウェルスの声がした。
「ナダ……起きているのか?」
「はい」
 ナダはラウェルスの方に向き直って返事をした。しかし、ラウェルスはナダに背を向けたままだった。
「眠れないんだろうな」
「……はい」
「だったら、話しておくよ。君を巻き込んでしまったからな。そのままでいいから聞け」
 何か、とても無表情な声だった。何を言っても半ばからかっているような、楽しんでいるかのような口調の普段のラウェルスからは想像できない。
「俺が、このアディアークの第二王子なのは知ってるな? 第二ということは第一……兄上がいる。さっきの奴らは兄上直属の騎士で、兄上の命令で俺を暗殺しに来たんだ」
「……!!」
 ナダは思わず上体を起こした。声が震える。
「どうして……? 兄弟なのに、どうして……?」
「王位争い。宮廷ではよくある話だな」
 淡々とそう答えて、ラウェルスは事のいきさつを語り始めた。
 父王シクノスの元正室の王妃は結婚後病で体を壊し、世継ぎを生まないまま他界した。そしてセシオスとラウェルスは、今は正室となっている同じ元側室から生まれた、同腹の兄弟だった。そんな二人は、昔はとても仲の良い兄弟だった。
 しかし、数年前に一度父王が病に倒れてから、二人の関係は悪化し始めた。幸い王はすぐに回復したのだが、このことをきっかけに次期王位を巡る静かな対立が生まれたのだ。
 対立といっても、ラウェルスの方には全くそんなつもりはなかった。王位は当然兄が継ぐものと思っている。しかし、セシオスは誰かに唆されているのか、弟がそんなふうに考えているなどとは全く信じていない。宮廷人たちもそれぞれの思惑から勝手にセシオス派とラウェルス派に分かれてしまっている。更に悪いことに、父王がセシオスよりもラウェルスに王位を譲りたがっているという噂が宮廷に流れて、兄弟の関係はラウェルスの思いとは裏腹にますます悪化してしまった。
「俺のこの旅は、実はこのことが原因なんだ」
 それは大神官アールスの提案だった。アールスはラウェルスたち兄弟の家庭教師でもあり、二人が幼い頃からずっとその成長を見守ってきた。それゆえに、アールス仲良く育った兄弟の対立に、ひどく心を痛めていたのだ。
 そしてある夜、遂にラウェルスは命を狙われた。その暗殺はラウェルスの返り討ちにより失敗に終わったが、一度で済むはずがない。アールスはラウェルスの身を案じ、彼に暫く王宮を出るように勧めた。セシオス派の人間とセシオス自身から身を守るため、そしてラウェルスには王位に就くつもりはないという意思表示のために。
「だったら、もう王子様を殺す必要なんてないでしょ?」
 ナダは少し怒ったようにそう言った。しかし、ラウェルスの淡々とした口調は全く変わらない。
「そのはずなんだが、どうやら兄上は、俺が完全にこの世からいなくならないと安心できないらしいな」
「そんな……!」
「いや、その気持ちも分からなくはないんだ。ナダ、俺の名前、覚えてるか?」
 当然だ。一度しか聞いたことはなかったが、ナダが聞いたことのある名前の数など、片手でも余るほどしかないのだから。
「えっと、ラウェルス=ラン=アディアークです」
「そう。でな、このラウェルスって名は俺が成人したときに与えられた名前なんだが、千年前に魔王を封じた英雄……当時のアディアーク王子の名なんだ。だから、王家は、この名をとても尊んでいる」
 それゆえに歴代のどの王も、自分の王子にラウェルスの名を与えることを憚った。事実、英雄ラウェルスT世以来この名を与えられた王子は、ラウェルス=ラン=アディアーク、彼が初めてなのだ。
「そう、父上は兄上にではなく俺にそんな名を与えた。それが何を意味するか分かるか?」
 ナダは指に自分の亜麻色の巻き毛をくるくると絡ませながら俯き、頭の中で今の話を整理した。やがて思いついたことを、遠慮がちに口にしてみる。
「お兄さんより王子様の方が好き……? だから、王様はどうしても王子様を次の王様にしたがっている……?」
 だからいくらラウェルスが身を退いても、兄王子は安心しないのだ。王はラウェルスが生きている限り、何が何でもラウェルスに王位を継がせようとするだろう。今まで誰もが与えなかった王家で最高の名を与えるほど、王はラウェルスを寵愛しているのだから。そんな状況下でセシオスが王位を継ぐためには……ラウェルスが死ぬより他ない。
 ナダがそれを話すと、ラウェルスは初めてナダの方を向いた。
「賢いな、ナダ。賢い子は好きだよ」
 声の調子でラウェルスが笑顔になっているのが分かる。ナダは少しホッとした。
 ラウェルスは声の調子を戻して続ける。
「そのとおりだよ。そのことはアールスが父上を説得してくれることになってるんだが……俺の脱走が、すぐ兄上に知られてしまったらしいな……」
 それっきり、ラウェルスは黙り込んでしまった。
(王子様、つらいんだろうな……)
 ナダはラウェルスかせ目を逸らせた。指に絡めた巻き毛をほどき、またクルクルと巻きつける。
 ナダには血の繋がった家族はいない。その人たちのことが刻まれていたはずの記憶さえも失って、ヴォーヌの塔に閉じ込められて育った。だから、今もし自分の目の前に親だとか兄弟だとかいう人が現れたら、きっとすごく幸せだと思う。
 なのに、その兄弟に命を狙われるラウェルス……。
 ナダは布団ごと膝を抱え、顎を乗せて悲しく目を細めた。
 暫くしてラウェルスが一言、少しでも寝ておけ、と言った。ナダは頷いて、寝台に体を横たえた。
 しかし、結局眠ることはできなかった。ラウェルスもたぶん、同じだっただろう。

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