3.

 ラウェルスはナダが女の子だからと気を遣って、別々に部屋を取っていた。そのため、今この部屋にはナダ一人きりで、ラウェルスの隣の部屋で、寝台の上に寝転がっていた。
 明日の朝にはもう、この町を出る、とラウェルスは言っていた。早く寝ないといけない。そう思うからナダは早めに寝台に入り、目を閉じてはいた。
しかし、なかなか寝付かれなかった。何しろナダは、生まれて初めて町という場所を歩いたも同然だったのだ。見知らぬ町並み、たくさんの人々……。今までのヴォーヌとの静か過ぎる生活を考えれば、それはもう、あまりに賑やかだった。そのせいで確かに疲れてもいたのだが、興奮も大きかった。
 何度も寝返りを打ちながら、どのくらい時間が経ったのだろうか。
 不意に物音が聞こえて、ナダは目を開けた。どこか……隣の部屋のようだ。そこはラウェルスの部屋のはずなのだが……。
 ナダは上半身を起こして、じっと耳を澄ませた。ふと、昼間鏡の中で見た男を思い出す。ラウェルスは盗賊だろうと言っていたが、もしかすると、それが忍んできたのだろうか。
 と、いきなり金属と金属がぶつかり合うような、硬い澄んだ音がした。そして、ラウェルスの怒鳴り声。
「兄上の指図か!?」
 キーンという音が続く。そして数人の足音。
 何? 何が起きているのだろう? 何度も聞こえてくる金属音は……あれは剣の音!?
(王子様!)
 考えるより先に体が動いていた。ナダは寝台から飛び降りて、部屋を飛び出した。ラウェルスの部屋の扉を開けようとしたが開かず、扉をドンドンと叩く。
「王子様! 王子様っ!」
 他の部屋の客の迷惑など全くお構いなしに、ナダは叫び続ける。
 と、いきなり扉が開いた。その拍子に、ナダは前につんのめってしまう。誰かがナダの細い腕を掴み、荒々しく暗い室内に引っ張り込む。状況を理解する間もなく、ナダはその誰かに羽交い絞めにされていた。
「殿下、そこまでですぞ」
 ナダを捕らえている男がそう言った。ラウェルスは今日買ったばかりの剣がその男の仲間の体を切り裂くすんでのところで、ギクリと動きを止め、振り向いた。
「ナダ!」
「王子……様」
「バカ! なぜ来たんだ!」
 そう言われて、ナダは自分がラウェルスの足を引っ張ってしまったことに気付いた。窓から射し込む月明かりを頼りに部屋の中を見回してみると、既に血溜まりの中に男が一人倒れているし、ラウェルスの前では、今からくも命拾いした男が床に座り込んで荒い息をついている。それに比べると、ラウェルスは息を乱してすらいない。
(ああ、ホントにバカ。あたしなんかが役立つほど、王子様が弱いわけないのに……)
 ナダはひどく情けなく、そう思った。
 ナダを捕らえている男が再び口を開く。
「さあ、殿下。剣を捨てて、おとなしくなさってください」
 その言葉とともに、ナダは喉元に何か冷たいものを感じた。そろっと目だけを下に向けてみると、それは剣だった。月明かりを受けた刃の冷たい反射光に、背筋がすうっと寒くなる。
「おまえ、騎士だろうが。俺の国の騎士団に、こんな汚い奴がいるとは思わなかったぞ」
 ラウェルスは唸るようにそう言う。しかし、男は気にしたふうもなく、平然と言い返した。
「主人の命令を確実に遂行することも騎士の務めです。そして、わたしの主人は殿下の兄君、セシオス殿下なのですから」
「女を盾にしてまで、任務を遂行する、のか。ふん、兄上の騎士団ってのは、ひどいものだな」
 軽蔑しきったように言い捨てて、それでも他にどうしようもなく、ラウェルスは唇を噛み締めて剣を床に放り投げた。
 それを見て、ラウェルスの前に座り込んでいた男が立ち上がり、ラウェルスに剣を突きつけた。よく見ると、それは昼間手鏡の中で見たあの男だと、ナダは気付いた。
 窮地に立たされたラウェルスを見て、ナダは焦った。こんなことは嫌だ。自分のせいでラウェルスに迷惑がかかるなんて、絶対に嫌。
(何とか……何とかする!)
 そう思い立つが早いか、ナダは首筋に剣が当てられていることも忘れて、男の腕からもがき出ようとした。いかにも非力そうなナダにすっかり油断していたのだろう、その突然の抵抗に、男は完全に意表を突かれた。そしてナダは、うまく男の腕から逃れ出た。すかさず短刀を投げようとして……。
(あ、そうだ。まだ……)
 短刀は明日受け取ることになっているのだ。手元に武器は何もない。自分のドシさに呆れる間もなく、ナダは再び男に腕を掴まれてしまった。
「おとなしくしていろ!」
 パシン、と小気味のいい音がした。ナダは小さく悲鳴をあげて、頬を押さえる。血の苦い味が口中に広がる。
「……ひどい」
 ナダは呟く。
「ひどい……!」
 怒りが恐怖を通り越す。
「わあああああああああああああっ!!」
 キレてしまったかのように叫び声を上げ、ナダは大暴れして再び男の手を振りほどいた。そして、喚き続けながら、そこら辺にある物を方向も定めずに投げ始めた。
「わっ! ナダ! やめろ!」
 ラウェルスが慌てて頭を庇いながら叫ぶ。だが、ナダには全く聞こえていない。ただがむしゃらに、いったい何を投げているのかも分からずに、とにかく手当たり次第に投げまくり続ける。
 二人の騎士たちも、呆気に取られているうちに危うく投擲物の目標にされ、それを回避するのに気を取られた。おかげで、ラウェルスは自由になった。ラウェルスはこの好機を逃さなかった。
 目の前の騎士の右手を蹴り上げ、宙に飛んだ剣の柄を器用に掴むと、すかさず相手を切り伏せた。そして、もう一人に向き直ると……。
 ガシャーン!
 飛び抜けて派手なその音で、ナダはやっと我に返った。今の音の余韻を感じるほど、部屋の中は静まり返っている。ナダは茫然として、部屋を見回した。
 男が三人倒れている。二人は血溜まりの中、あと一人は、窓からの月明かりに煌めく割れた硝子の花瓶の傍。
 ラウェルスもあまりの決着に茫然としていた。
「あーあ……」
 そう呟くとナダに歩み寄り、その顔を覗き込んだ。キョロキョロとして、部屋の隅に落ちている燭台を見つけ、拾いに行く。次に火口箱を探して部屋を歩き回り、見つけて燭台の蝋燭に火を点すと、ナダの傍に戻った。
 少女の全身を一通り眺める。最後にもう一度顔を見て、微笑んだ。
「怪我はないな。頬は少し赤いが」
「王子様……」
 ああ終わったんだ……そう悟ると、ナダは急に気が抜けた。途端に涙が溢れてくる。
 ラウェルスは苦笑した。
「おいおい、今更泣くか?」
「だって……」
「凄い勇姿だったぞ? 俺は騎士を花瓶でやっつけた人間なんて初めて見たよ」
 そう言われて、ナダは割れた花瓶にもう一度目を向けた。
(やっぱり、これ、あたしが投げたんだ……)
 そして、この哀れな男の頭に見事に命中してしまったのだ。それによく見ると、床には他にもいろいろなものが散らばっている。ラウェルスのマント、荷物の袋、椅子、小さな絵画の額、水盤、布団、枕、幸運にも割れなかった水差し、グラス……この部屋にあったあらゆるものが殆ど床に散らばっている。まるで泥棒に思い切り荒らされたかのようだった。
「王子様……あの人、死んでるんですか……?」
 人を殺してしまったかもしれない、と急に恐ろしく不安になって、ナダは恐る恐る尋ねた。しかし、ラウェルスは安心させるように微笑んで首を横に振った。
「死んでるのは俺が斬った二人だけだ。そいつは生きてるよ。ほら」
 ラウェルスは男に歩み寄って胸ぐらを掴み、思い切りその頬を殴った。ナダは小さく悲鳴を上げて両手で口元を覆ったが、確かに男は生きているようだったので安心した。
「おい、聞こえてるか!?」
「は……い……」
 男がぎこちないながらも頷くと、ラウェルスは妙に低い迫力のある声で言った。
「じゃあ、いいか? 命だけは助けてやる。その代わり、王宮に戻って兄上に伝えろ。王位などいくらでも喜んでお譲りする。だから俺は王宮を出たんだ。もう放っておいてくれ、とな。それと、この部屋を片付けておけ。床の血も綺麗に拭いておけよ。分かったな!?」
 ラウェルスは男の目にじっと目を据える。男は全く逆らわず、今度もぎこちなく頷いた。それを確認すると、ラウェルスは男を思い切り殴り飛ばした。ナダに対する仕打ちの仕返しなのだろう。そして、自分のマントと荷物を拾う。
「ナダ、悪いが君の部屋に一緒に泊まるぞ」
 不機嫌そうにそう言うと、ラウェルスはナダの背を押した。ナダはほんの少し同情のこもった眼差しで無様な騎士を一瞥し、部屋を出て行った。

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