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2. スースーして心もとない足元を気にしつつ宿屋から出たナダは、思わず立ち竦んだ。怖かった。こんな何人もの見知らぬ人々の中へ出て行くのが、不安でたまらなかった。 それを察したラウェルスが、ナダの手を取った。 「大丈夫だ。俺がいるだろう?」 随分な自信だ。その言葉だけで全てが解決する、そんな自信に満ちた笑み。 ナダは少々呆れてしまったが、それでも安心できたのは確かだということに気付いて驚いた。 町の通りを歩きながら、ラウェルスが言った。 「俺の剣を買うついでに、君の持ち物も揃えてやろうな」 「え……でも、あたしお金なんて……」 「俺を誰だと思ってるんだ? 君の面倒くらい余裕で看られる」 器用に片目をつむってそう答え、ラウェルスは颯爽と通りを歩いていく。必死について歩くナダは、そんなラウェルスの後ろ姿を見て、ふと気付いた。 (この人、すごく目立つ……) 炎の髪の鮮やかさで目立つのは当たり前だが、ナダが感じたのはそれではない。何か……存在そのものが目立つ、という感じで。 やはり王子だから、だろうか。そう、彼はこの国アディアークの第二王子。押しも押されぬ存在だ。 (でも……あたしは……) 全く素性が分からない。記憶もない。何か宙ぶらりんな存在だ。今同じ通りを歩いている人たちでも、皆自分が誰なのかということくらい知っているだろうに。自分がこの世界に存在していることを、疑ったことなどないだろうに。 そんなことを考えていると、ナダは悲しくなってしまった。 ラウェルスが、いきなり足を止めた。物思いに耽っていたナダは、その背にぶつかってしまう。我に返って顔を上げてみると、剣の印の看板が目に入った。どうやら武器屋らしい。 「いらっしゃい!」 ナダだちが店の敷居を跨いだ途端に、店主の威勢のいい声が出迎えた。店主はいかつい感じのする中年の男だったが、その見かけとは裏腹に愛想は良かった。 「何が要るんだい?」 「剣を見せてくれ。それから、短刀もだ」 答えながら、ラウェルスは何本かの剣が掛かる奥の壁に近寄った。手には取らず、一本一本をじっくりと眺める。やがて、右の上から二番目めの剣に目を留めると、壁から外して軽く振ってみた。 「これでいいな」 そう言うと、次は店主の立っている傍にある棚に向かった。そこには多くの短刀が並んでいて、ラウェルスはまたそれらをじっくりと眺める。やがてその一本を取り、手の中で回転させた。 「ナダ、これを投げてみろ」 「はい」 ナダは短刀を受け取った。その瞬間に分かった。重さや重心、握りの太さなどが、ちょうどいい。 「すごい……一目で見分けるなんて……」 ナダは目を丸くしてラウェルスを見た。 「まあな。ほら、投げてみろ。そうだな……あそこがいい。あの隅の柱の節目だ」 ナダは頷いて、指定された場所に目を据える。そして、次の瞬間、ナダの右手から銀光が走った。 「おおっ!」 店主が、勝手に店の柱に傷を付けられたにもかかわらず、感嘆の声を上げた。 「お嬢さん、すごいな!」 ナダの投げた短刀は、寸分違わず、ラウェルスの指示した場所に突き立っていたのだ。 ラウェルスは柱に歩み寄って短刀を抜き取り、刃先を確かめた。刃こぼれなどはない。ラウェルスは短刀を店主に渡し、言った。 「これと同じものをあと五本、明日の朝までに作っておけ」 「あと五本も……?」 店主とナダ、二人が同時にそう言った。 「そうだよ。ナダ、君、両手利きだろう? 腰の左右に三本ずつくらい差しておくと便利だ」 確かにナダは両手利きだ。だが、そのことはラウェルスに話していない。なのに、どうしてそうだと分かったのだろう? と、ナダがそう思っただけで、またラウェルスは答えた。 「仕草とかをね、よく観察してると分かるんだよ。特に、君の場合はな」 ラウェルスはククッと笑い、金貨を三枚、店主に渡した。 「俺はこの剣を貰っていく。短刀は明日の朝、取りにくるよ。これで足りるか?」 「ああ、充分だ。今お釣りを……」 「要らないよ。取っておけ。今日中に五本は大変だろうからな」 「そうかい? ありがとうよ」 「じゃあ、頼むぞ」 ラウェルスは鷹揚にそう言うと、ナダの背を押して店を出た。 そこから少し進むと、町の中心地に出た。そこは中央に人工の泉がある広場になっていて、どうやら市の立つ日だったらしく、たくさんの露店が並んでいる。工芸品や手芸品、地方の特産物など様様雑多な商品が溢れ返っているのを、ナダは目をまん丸くして見ていた。それを見たラウェルスは一人ニコリと微笑み、ナダの手を引いて市の雑踏に入っていった。 露店に並ぶ商品は、ナダにとっても別に真新しいものばかりというわけではなかったが、自分が今までに見たり使ったりしてきた品物がこんなふうに売られているのを見るのは新鮮だった。当然ナダには買い物という経験もなかったのだ。だから、売られているのがありふれた野菜や見慣れた食器などでも、まるでそれらを初めて見る物のような目で見ていた。 「おっ」 ラウェルスがまた、いきなり立ち止まった。そして、キョロキョロと余所見しながら歩いていたナダは、またしてもラウェルスにぶつかって足を止めた。しかしラウェルスは全く意に介さず、すぐ傍の銀細工の露店の前に頭を屈めた。 「王子様?」 背後から問うナダに、ラウェルスは手のひらくらいの大きさの銀の円盤のようなものを手に取って見せる。 「ほら、綺麗だろう?」 「これ、鏡?」 鏡面の縁と裏面の浮き彫り細工が、とても美しかった。ナダも娘盛り、こういうのが嬉しい年頃だ。 ナダが鏡を気に入っている様子なのを見て、売り手の老婆が言った。 「それにはね、お揃いの櫛もあるんだよ」 とても優しい笑みを浮かべ、老婆はナダに銀の櫛を差し出した。なるほど、鏡と同じ模様の細工が施してある。 「いい出来だ。とても露店の品とは思えないな」 ラウェルスがそう言うと、老婆は嬉しそうに目を細めた。 「うちの主人の力作だよ。気に入ったら買っておくれ。100ルースでどうだい?」 「貰おう」 ラウェルスはすぐに金貨を一枚、老婆の萎びた手に乗せた。 「いくら旅でも、女の子なんだからな。このくらいは持ち歩かないと」 ナダは小首をかしげて王子を見る。 「そういうもの、ですか?」 「そういうものだ」 ヘンなことにこだわる人だ、と思ったナダだったが、この綺麗な手鏡と櫛が気に入ったのは確かだ。ナダはニコニコと嬉しそうに手鏡を覗いていた。 そのとき、ナダの笑みがふと消えた。鏡の中に目を据えたまま、その表情がやがて怪訝そうに変わっていく。 人ごみの中で見知らぬ男が一人、じっとこちらの方を窺っていた。その男と鏡の中で目が合ってしまい、ナダはなぜかとても嫌な予感がして、思わず後ろを振り返った。 「どうした、ナダ?」 ラウェルスもつられて振り返ると、男は人ごみの中にスッと紛れて見えなくなってしまった。ナダは、男のいた場所をまだ不安げに見つめたまま言った。 「そこに男の人がいて……じっとこっちを見てたんです。あたし、すごく嫌な感じがして……」 「男……?」 ラウェルスのよく晴れた空の色の青い双眸が、スッと鋭くなった。その目がナダの目線を追う。ラウェルスはそのままじっと、人ごみを見透かそうとするように目を凝らしていた。 大抵いつも何らかの笑みを浮かべているラウェルスがそんな怖い顔をするので、ナダはますますひどく不安になってしまった。 「……王子様?」 恐る恐る声をかける。するとラウェルスはナダに目を戻し、今までの鋭い目がウソのように、余裕たっぷりの笑みを見せた。 「盗賊か何かだろう。ああいう輩はどこにでもいるもんだ。心配するな。俺は強いんだぞ」 そう言うわりには、さっきまでのラウェルスの目は……。それにナダ自身、何かまだそこはかとない嫌な予感を拭いきれない。 「さ、返るぞ、ナダ」 ラウェルスはナダの手をグイッと引いた。ナダは慌てて、銀製品屋の老婆を振り返った。 「お婆さん、これ、きっと大事にします」 わざわざそんなことを言ったのは、師匠のヴォーヌを思い出したからかもしれない。 「ありがとうよ、お嬢さん」 嬉しそうに優しく微笑んだ老婆を見て、少しだけヴォーヌに対する罪悪感を覚えてしまうナダだった。 |
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