魔界の門

3.

 17年前、<露の月>1日。レルディンたち妖精族が<魔王の妃>の誕生を知ったように、バスカークもそれを知った。ほんの一瞬の力の閃き。その力は、魔王レナコルディの祭祀長だったバスカークの知っている力にそっくりだったのだ。
 そのときは、<魔王の妃>というものを知っていたわけではない。ただ、その力の持ち主の出現が魔王の封印に関係しているだろうという推測は、簡単にできた。
 ジラルのために、その者を探し出さねばならない。しかし、バスカークを始めジラルの亡霊たちは皆ジラルの地に縛られていて、誰一人、そこを離れることは能わなかった。そして、そのまま7年ほどが過ぎた。
 ある日、ジラルに十数年ぶりに旅人がやってきた。
 どういうわけか<紫光の宝珠>なるものの噂が流れ、その強大な魔力を求める魔術師が、ごく稀にやってくることがあったのだ。今までに生きて戻った者はいないという言い伝えを知っていて尚、自分に<紫光の宝珠>を手に入れることができると自負するほどの実力をもった、野心家ばかりだった。
 バスカークは、これは使えると思った。そこで、いつものように、旅人を黒巫女の持っていた珠の許へ導くと、手に取るように勧めた。そして、いつものように、旅人は珠に触れた途端、あえなく息絶えた。その旅人こそ、魔女プルミアだった。
 バスカークは住人のいなくなったプルミアの肉体に入り込んだ。そうして、やっとジラルから出ることができるようになったのだった。
 しかし、その頃にはもう、どれだけ探ってみても、力の持ち主の存在を感じることはできなくなっていた。やむを得ず、力の持ち主を探すことは、暫く断念することにした。
 それに代わってバスカークの新たな目的となったのは、アディアーク王家への復讐だった。ジラルを滅ぼした英雄ラウェルスT世の血筋、それを滅ぼすこと。バスカークはじっと、その機会を伺っていた。
 そんなとき、アディアーク王の急病により、王子兄弟の王位継承争いの兆しが現れ……。
「セシオス王子にラウェルス王子を殺させ、王位に就いたセシオス王子を操って国を混乱させ、自滅させるつもりだった。だが、セシオス王子はあなたに殺され、ラウェルス王子が生き残った」
 ナダはギクリと身を強張らせた。セシオスのあの無残な死は、ナダの脳裏にまだしっかりと焼きついていた。きっと、永遠に消えはしない。
 バスカークは続ける。
「だが、それももう問題ではない。あなたが、こうして我々の許においでになるのだからな。そう、あなたが力を使ったときは本当に驚いた。あなたが力の持ち主であったことも、あなたがあの方であったことも」
 ナダは問うようにバスカークを見上げた。バスカークの表情は、ひどく神妙だった。
「あなたは賢いお方だ。我らのあなたへの望み、もう、全てお分かりであろう?」
「……」
 魔王レナコルディを封じるために、ラトカーティス神も英雄ラウェルスT世も、ジラルの人々のことは顧みなかった。ナダがそのことを疑問に思ったとき、ラウェルスは言った。ジラルは魔王を崇拝する国なのだから仕方ない、と。恐らく、アラウィサクじゅうの人間が、ただその一言で済ませてしまったのだろう。
 バスカークはアディアーク王家だけでなく、世界じゅうを恨み、憎んでいる。復讐を果たし、ジラルを甦らせたいと願っている。魔王が目醒めれば、その悲願は叶う。
 そして、それができるのは……それができる唯一の者は……。
「でも……でも、どうして、あたしが? どうしてあたしが、その人物だなんて……」
「お信じになれぬか?」
「当然でしょ」
「だが、あの妖精族の王子も、そう言っておったではないか」
「あれは夢だわ」
 言い返してから、ナダはハッとした。
「って、待ってよ。どうしてあなたが、あたしの夢の内容を知ってるの?」
「夢ではないと、先ほど申し上げたはず。あれは、わたしが魔法であなたに直接お聞かせした現実の会話だ。まあ、仮にあれが夢だとしても、では、あなた自身の目で見た現実はいかがかな? 一瞬にして異様に伸びたその髪、完全に治癒した致命傷。そして、セシオス王子を殺……」
「やめてっ!!」
 ナダは叫んで耳を塞いだ。脳裏に無残なセシオスの最期が甦る。
「殺した、殺したって言わないでっ! あんなの、あたしのやったことじゃない! あたしじゃない! だいたい、あたしは魔法の素質がかけらもないって言われて、お師匠様に魔法を教えてもらえなかったくらいなんだから。なのに……!」
 取り乱すナダを見下ろし、バスカークは薄く笑った。
「よかろう。信じられぬのか、信じたくないのかは知らぬが……あなたが何者なのか、ご自身でしかとお確かめになるがよい。後ほどお迎えに上がるゆえ、まずはお体を清められよ」
 そう言うと、亡霊の王は忽然とナダの前から姿を消した。
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