魔界の門

2.

「いかがなさったかな?」
 この声は誰だろう。ぼんやりとした頭でそう考えながら、ナダは目を開けた。
(……? ああ……今のは……)
「夢……だったのね……」
 長く溜め息をついて、ナダは一人呟いた。
 すると、男の声がそれに答えた。
「夢ではない」
「え……?」
 ナダは声のした方へと頭を巡らせた。
 そこに立っていたのは、40歳くらいに見える男性。彫りの深いその風貌には威厳があり、纏っている濃紺の衣は豪華で重々しい。だが、奇妙なことに、その姿は半透明だった。
「ああ……あなたは、あたしを助けた……」
 ナダは思い出した。だが、それと同時に、他の全ても思い出してしまった。生まれて初めて体に受けた刃。そのときに我が身に起きた変化。レルディンに突きつけられた細身の剣。そして……。
 ラウェルスの……あの目……。
 痛い。死んでしまっていて当然だったあの傷は、不思議なことだが完全に癒えているのに。なのに、痛い。体じゅうが……心が……痛い……。
「ご気分がすぐれぬか?」
 半透明の男が、まだ寝台に横たわったままだったナダを、気遣うように見下ろしている。ナダは上体を起こし、力なく首を横に振った。そして、周囲を見回す。
 窓のない、青っぽい部屋だった。青っぽいのは、ひび割れの激しい壁際に並んで浮かんでいる青い炎のせいだろう。ひどく殺風景で、今ナダが座っている寝台以外には、家具は一つもない。床には古びて擦り切れた絨毯が敷かれていて、ところどころに瓦礫が散らばっていた。
「ここは? あなたは誰? どうして、あたしを助けたの?」
「ここは魔王殿の中。わたしの名は、バスカーク=リアン=ジラル……このジラルの王だ」
「ジラルの……? でも、ジラルは……」
 千年前に滅んだ王国のはず。今は亡者の王国と呼ばれる、この廃墟。その王だなんて、いったい……。
 ナダはしげしげとバスカークを見た。奇妙すぎる、半透明の姿を。じっと見ていて、そして不意に理解した。
「あなた、プルミアね? ううん、正しくは、プルミアの肉体に入っていた亡霊だわ。あなたの声、聞いたことがあると思ったのよ」
 プルミアがレルディンを殺そうとして逆に窮地に追い込まれたとき、彼女の口から発せられた男の声と同じだったのだ。
 バスカークはフッと笑った。
「賢いお方だ。そのとおり、わたしはあの魔女の肉体を利用していた。ジラルの地に縛り付けられているわたしには、そうするしかここを離れる方法がなかったのでな」
「でも、どうしてあの人と一緒にいたの? ランのお兄さんと」
 そう尋ねてから、ナダはふと思いついた。ナダの表情が怒りに歪んだ。
「あなたがあの人を唆したのね?」
「ああ、セシオス王子はひどく扱いやすかったな。彼の強い権力欲は、いとも簡単にみるみる黒くなっていった。わたしの思惑どおりだったというわけだ」
「思惑……?」
 バスカークはニヤリと笑う。
「話してさしあげよう。計画は、あなたがこの世に生を享けた瞬間から始まった……」
前ページへ  他の回を選ぶ  次ページへ