亡者の王国

10.

「え!?」
 銀光……短刀?
 何も考えられなかった。でも、体だけは何かに突き動かされて……。
「……!!」
 激痛に、ナダは声も出せずに凍りついた。こわばっている背中に刃が突き刺さっている感覚が、異様でおぞましい。
「ナ……ダ……!」
 ラウェルスが真っ青な顔で、自分を守ってくれた少女を見つめ、動かせない唇を必死に動かした。ナダの顔も蒼白で、目をいっぱいに見開いている。
 足音がする。レルディンではない。レルディンは、こんな無遠慮な足音などたてない。
 そう、レルディンは動いていない。仲間の窮地を目の前にして、それなのに何もしない。
(どうして……?)
 そう思ったとき、ふと、ナダは今までに何度かレルディンの涼しい眼に怯えたことがあったのを思い出した。
(レルディン……あなたはいったい……)
 痛み、背中の短刀の異様な感触、疑問……。
 ナダはもう、何が何だか分からなかった。
 足音がやみ、ナダとラウェルスの上に影が落ちた。
 ナダは気力を振りしぼって振り返り、影の主を見上げた。
 金の髪の青年。端整な顔立ちと瞳の色、そして身分ゆえの鷹揚な雰囲気が、ラウェルスとよく似ている。よく似ているけれど、どこかが違う。
(ああ、青の質が違うんだ。ランの目の青は、よく晴れた空の青。でも、この人は……硬い硬い氷の芯の色……)
 この状況下で自分でも驚くほど落ち着いてそんなことを考えていたナダは、セシオスの面白がるような笑みに怯えた。ラウェルスもよくそんな笑みでナダを見るが、目の色と同じように質が違った。
 セシオスは言った。
「バカな娘だ。庇わずとも、急所は外してあったのだぞ」
 ナダはセシオスを睨み上げた。
「ランの……お兄さんのクセ……に……!」
「そうか、『ラン』と呼ばせているのだな。なるほど……本気というわけだ。おまえにしては珍しく。なあ、ラン? 宮廷の女を片っ端から口説き落としていたおまえが、な」
 セシオスは麻痺毒で動けない弟を、楽しげに見下ろした。
 ラウェルスは何か嫌な予感がして、問うような、しかし鋭い脅すような目で、兄を見返した。しかし、セシオスは軽く嘲るようにそれを受け流し、ナダの前に片膝をついた。
 片手を少女の顎にかけ、苦痛に瞳を潤ませながらも反抗的な顔を、クイっと持ち上げる。
「まあ、確かに綺麗な娘だ。わたしの側室にしてやってもよいな。どうだ? <紫光の宝珠>は我が手にあるぞ?」
 ナダは声を絞り出した。
「……最っ……低……!」
 セシオスは笑みを消さなかった。しかし、たたでさえ冷たい目が更に冷たく光り、手がナダの背に伸びた。その手は、そこに突き刺さったままだった短刀を、無遠慮に引き抜いた。
「……!!」
 ナダの顔が激痛に引き攣った。刃の抜けた痕から、新たに血が流れ出し、衣の赤い染みがみるみる広がっていく。
「わたしに暴言を吐くとは、いい度胸だ」
 セシオスの手の中で、血まみれの短刀が閃いた。ナダは身を竦めた。
 しかし……。
 次の瞬間呻き声をあげたのは、セシオスの方だった。ラウェルスが兄の足に短刀を突き立てたのだ。
「ナダに……触……るな……!」
 何という精神力だろう。いつの間にか、ナダの腰帯から彼女の短刀を抜き取っていたのだ。麻痺毒で動けないはずの体を、意思の力だけで必死に動かしたのだ。
 セシオスは今度こそ怒りに顔を歪めた。ナダの血にまみれた短刀を投げ捨てるとよろめきながら立ち上がり、剣を抜いた。
 無言で、その刃を振りかざす。
 剣が、無防備なラウェルスの首筋めがけて、月光を絡ませた銀の尾を引く。しかし、ラウェルスにこれ以上動く力があるはずがなかった。
「ラン……!」
 ナダは振り下ろされる刃の前に、我が身を投げ出した。
 その次の瞬間。
 血煙がナダの視界を覆った。左肩に刃が食い込んでいるのが、妙に冷静に感じられた。そして……。
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