亡者の王国

8.

 ラウェルスは思わず目を向けて、怪物から気を逸らせてしまった。しかし、怪物も同じように首を巡らせて、一つしかない目をラウェルスと同じ方に向けていた。
 そこには……階段の傍にはナダがいて、無謀にもラウェルスに駆け寄ろうとしていた。
 ラウェルスよりもずっと扱いやすいと感じたのだろう、怪物は攻撃の矛先をナダに変え、そちらに向かっていった。
 何も考えず、ただ剣を渡したいがためだけに一目散にラウェルスを目指していたナダは、行く手を阻まれてビクンと立ち止まった。四本の腕を振りかざす一つ目のおぞましい姿を目の当たりにして、その場で立ち竦んでしまう。
 と、ナダの後方から眩い光の玉が飛んできて、怪物の目を覆った。いきなり視界を奪われた怪物は、四つの手で目に被さる光を掻き毟っている。
 その隙にラウェルスはナダに駆け寄り、まだ固まっている少女の腕を掴んで怪物から離れた。
「バカ! 何て無茶なことするんだ!」
 ラウェルスの叱責の声で、ナダはハッと我に返った。そしてラウェルスの顔を見ると、みるみる膨れっ面になった。
「バカはどっちよ! 剣、置いていくなんて!」
 ナダがこんな口をきいたのは初めてだった。本気で怒っていたのだ。ラウェルスのことを本気で心配して。
 ラウェルスはナダが抱えている自分の剣に気付き、そっとそれを取り上げた。そして空いている手で、ナダの頭を胸に寄せた。
「すまない」
 一言、しかし気持ちを込めてそう言うと、ラウェルスは隣を見た。そこには、いつの間にかレルディンが来ていた。さっき怪物の目に光を放ったのは、勿論彼だった。
 怪物の目を覆っていたその光が、薄れ始めていた。
「レルディン、ナダを」
 ラウェルスはナダをレルディンの方へ行かせた。そのとき、ふとナダの目に、向こうの松明の傍に佇む金髪の青年の姿が入った。セシオスはいきなりこの場に現れたナダたちを見ても、まだじっと様子を見ているだけなのだった。
「あの人がランのお兄さんなのね」
 そう言うなり、ナダはセシオスのところに駆けて行こうとした。
 が、行けなかった。レルディンがその細腕には似合わぬ力で、しっかりとナダの腕を掴んでいたのだ。
 ナダは振り向いて、レルディンを睨んだ。
「放して! あの人に文句言ってやるん……」
 言い終わらないうちに、レルディンが強引にナダを抱え、横ざまに飛びのいた。されるがままにレルディンの腕の下に伏せる形になったナダは、突然のことに戸惑いつつ顔を上げ、目の前にかかるレルディンの銀の髪越しに、辺りを窺がった。
 ラウェルスもナダたちと反対の方向へ飛びのいていたらしい。そして、元々三人がいた場所では、不気味にどす黒い緑色の粘液が、月の光を受けていやらしく光っていた。怪物の目を覆っていた光は、もうすっかり消えている。
「あの怪物が吐いたものです。なかなか厄介そうな相手ですね」
 レルディンが上体を起こしながら、醜い怪物を見て嫌悪感も露わに眉を顰めた。
「だったら、ランを助けてあげてよ」
 ナダは抗議した。セシオスのところへ行くのを邪魔されたことへの抗議も含まれていた。
 しかし、レルディンはナダを起こしながら、首を横に振った。
「あなたを押さえておかなくては、また何かの拍子に飛び出してしまうでしょう?」
 そう言って、しっかりとナダの両腕を掴んでしまう。
 ナダは不服だったが、抵抗しても無駄なのはさっきで分かっていた。それに、自分が飛び出せばラウェルスに迷惑がかかることも、否定できなかった。
 ラウェルスがナダの持ってきた剣を抜いて、鞘を放り投げた。
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