亡者の王国

6.

 沈黙。
 この数分間というもの、その場を支配しているのは、それだけだった。
 ここは屋上……いや、上層部が崩れたせいでそうなった、3階の床。アラウィサクの四王国中、最も力のある国アディアークの王子二人は、ここでじっと互いを見つめ続けていた。
 発せられた言葉はといえば、兄王子セシオスの皮肉っぽい優しげな再会の挨拶のみ。ラウェルスは黙したまま、未だそれに応えていなかった。
 崩れた壁に取り付けられた松明の炎が揺れて、同じようにラウェルスの炎の髪も揺れた。
「兄上……」
 王子の口調で、ラウェルスはやっとそう言った。その表情も王子のものだが、青い目には陰りがあった。
「変わられたな、兄上は。昔の兄上は、そんな目はしていなかった……」
 セシオスは笑った。尊大に、にこり、と。それは一瞬、ラウェルスの笑みと似て見えた。
 しかし、何かが違った。目のせい、だろうか。色はラウェルスと同じ青とはいえ、セシオスのそれは、まるで違った印象を与えるのだ。ラウェルスの目はよく晴れた空を思わせるが、彼が「そんな目」と言ったセシオスの目の青は、暗闇の氷を思わせた。
 そして声にも、氷の冷たさが感じられた。
「兄のわたしを差し置いて王位を狙うおまえに、言われる筋合いではなかろう?」
「まだ分かって戴けないのか? 俺は王位などいらない。何度もそう伝えたはずだ」
「確かに、アールス大神官や役立たずの騎士どもが、そんなことを言っていたな。だが、おまえが他の三国と手を結んで王位を取ろうとしているという情報も入っている」
「バカな!」
 ラウェルスは拳を握り締めた。
「俺は兄上と争いたくないからこそ王宮を出、国を出たんだぞ!」
 セシオスは金の髪を揺らし、ふん、と鼻で笑った。
「ならば、何故ジラルなどへ来た? <紫光の宝珠>が目的ではないのか?」
「確かにそうだ。だが、俺は力が欲しくて来たんじゃない」
「てでは、何が目的だと?」
「助けてやりたい娘がいる。それだけだ」
 セシオスは片眉を上げ、弟の真剣な表情を見た。それから急に、声をたてて笑いだした。ラウェルスは不快に顔をしかめながらも、辛抱強く兄の笑いが収まるのを待った。
 やがてセシオスは笑い止み、優雅に手と足を組み直して言った。
「とんだ善人ぶりだな、ラン」
 ラン……その呼び名が兄の口から出て、ラウェルスの目が悲しげに細められた。
 王家では成人したときに正式の名を与えられ、それまでは幼名を使う。ラウェルスの場合、それが「ラン」で、以前サグナーラ王にしてラウェルスの親友のサルファが言っていたように、今では基本的には家族と乳母しか、それもごく内輪のときにしか呼ばなくなった名なのだ。言い換えれば、幼名で呼ぶということは、とても親密な間柄だといえる。
 なのに……。
 今のセシオスは、王位のために弟を殺そうとまでした男。弟を「ラン」と呼んでも、そこには愛情のかけらもない。
「まあ、いい」
 セシオスはラウェルスの心には全く気付かない。口元に尊大な笑みを浮かべ、右手を懐に差し入れた。
「今のわたしには、どうでもよいことだ。我が手には、これがあるのだからな」
 そう言って、その手をラウェルスに向けて、ゆっくりと差し出した。その掌の上にすっぽりと収まっているのは、美しい紫水晶の珠……。
 ラウェルスは目を見開き、囁くように言った。
「それが……<紫光の宝珠>か……?」
「そのとおり。魔王レナコルディの力を宿すこの珠があれば、アディアークのみならず、アラウィサクじゅうを我が物にすることができる。素晴らしかろう、ラン?」
 ラウェルスの目が、厳しく眇められた。
「本気でそんなことを考えておられるのか、兄上?」
「だとしたら、どうするというのだ? わたしを止めるか?」
 セシオスは嘲るように、こころもち首をかしげる。ラウェルスの目が一層厳しくなり、しかし、よく見れば、そこには失望と悲しみが同居していた。
「……そうするしかない。それが俺の務めだろうから。アディアークの王子として、そして、兄上の弟として」
 セシオスは冷たく微笑み、<紫光の宝珠>を懐にしまった。
「よかろう。わたしの邪魔をするというのなら、やはり死んでもらうまでだ」
そう言うと立ち上がり、一歩退いて小さな笛を吹いた。
前ページへ  他の回を選ぶ  次ページへ