ジラルへ

2.

 プルミアは音もなく卓に歩み寄った。燭台の炎が近くなったせいで魔女の姿はさっきよりも明るく照らされたが、かえってその分、面を隠す頭巾の影が濃くなった。
 プルミアはごく低く、囁くように言った。
「ラウェルス殿下は先日、ウルバース王国におられました。以前お話し申し上げました亜麻色の巻き毛の少女と銀の髪の青年を、まだ連れておられ、その三人でメリトという町を訪れておられました」
「メリト?」
「十二年前に謎の大火災で滅んだ町です。その町から、現在はジラルへ向かおうとなさっておいでのようでございます」
 セシオスは眉を顰めた。ジラルは千年前に滅んだ国。アラウィサクの四王家では<魔界の門>のあるジラルの廃墟に近づくことは固く禁止されている。そんな場所へ、いったい何をしに行くというのだ?
 プルミアは言った。
「弟君がジラルへ向かわれた目的は、だいたい察しがついております。セシオス殿下、<紫光の宝珠>をご存知ですか?」
「<紫光の宝珠>……?」
 セシオスは片眉を上げた。
「何だ、それは?」
「魔術士の間ではよく知られている伝説で……ジラルには魔王レナコルディの遺留品である<紫光の宝珠>があるとされています。それには魔王自身の魔力の一部が込められており、手にした者はその力をも手に入れられる、と……」
 セシオスは表情を変えなかった。頬杖をついたままの尊大な態度のまま、斜めにプルミアの頭巾の影で見えない顔を見ていた。そして、独り言のように呟く。
「<紫光の宝珠>……黒巫女の持っていた珠、か……? 確かあれには、そのような名はついていなかったが……」
 セシオスは目線を卓に落とした。そして、ややすると、再び魔女の見えない顔に目を向けた。
「では、ラウェルスの目的は、その宝珠だというのだな?」
「他にございましょうか? ただし、ジラルへ行って生きて戻った者はありませぬ」
「ふん……他の者には能わずとも、あいつならやってのけるかもしれぬわ」
「そう思われるのでしたら、急ぎジラルへ向かわれるがよろしいでしょう。弟君より先に、あなたが<紫光の宝珠>をお手になさいませ。そして、このアディアークだけでなく、アラウィサク全土の覇王とおなりなさいませ」
 セシオスは何の表情も見せず、黙したままだった。僅かに青い目をすがめ、燭台の炎を見つめたのみで。
 炎を映した青い双眸が強い光を宿していたが、それは炎の暖かみを食い殺した、硬質の冷たい光だった。


 メリトの町の廃墟で屍術士から<紫光の宝珠>の話を聞いた後、ナダたちはウルバースの王都センヌで冬を越した。次の目的地であるジラルは、とても雪の中を強行軍できるような場所ではなかったからだ。
 ジラルはアラウィサクの東部に連なる<大山脈>の向こうにあった王国で、滅亡するまでは険しい山脈を越えるための街道が一本だけ整えられていたという。しかし、現在はそれも失われ、そもそも都のあった正確な位置も分からないという始末だ。
 ジラルは、魔王レナコルディを当時のアディアーク王子が封じたという話共々、一般の人々にとってはただのおとぎ話でしかない。おまけに、その内容ではジラルは亡者の国なので、訪れようとする者などいるはずがない。
 ラウェルスのように王家の者はそれが本当の歴史であることを知っているが、それゆえにジラルは禁忌の地であり、やはり訪れる者はいない。そうして、道は消えていったのだ。
 現存する四王国とジラルとを隔てる<大山脈>の険しさは並大抵のものではなく、どこでも通れるというわけではない。何とかして古の街道の跡、もしくは他に通れそうな場所を見つけなくてはならない。だからナダたちは春を待ったのだった。
 雪が溶け、氷が溶け、生温かい東の風が吹いた。
 大地が柔らかな黄緑色の薄衣を纏い、瑞々しい爽やかな香りが大気に満ちた。
「<大山脈>の奥地に入る最良の道は、<大河>だろうな」
 冬の間にいろいろと相談し検討した結果、ラウェルスのその意見で、ナダたちは再びサグナーラを目指すことにした。そして、センヌを出発したのが、この季節だった。
 春の畑の整地や種まきを見ながら、ギルラン王国を駆け抜けた。
 人馬族や<樹木の乙女>たちをうまくあしらいながら、エトネーラの森を南下した。
 そうしてサグナーラ王国に入った頃には<花の月>の終わり、春真っ盛りになっていた。
 <大河>は文字どおりアラウィサクで最も大きな川で、<大山脈>の奥地を源にしてサグナーラの領土の東端わ流れ、サグナーラの王都ネイスの傍を通って<南の海>に流れ込んでいる。
 エトネーラの森を出たナダたちは、進路を東へ変えて<大河>に突き当たり、そこから<大河>に沿って上流へ向かうつもりだった。
 その計画は、最初はうまくいっていた。しかし、山脈に差し掛かって暫くすると、そう簡単にはいかないことが分かった。川沿いが切り立った崖になって、辿れなくなってしまったのだ。おまけに、この頃には山全体がかなり険しくなっていて、近くに馬を歩かせやすそうな場所もなかった。
 仕方なくナダたちは山を下り、一旦王都ネイスへ向かうことにした。サグナーラ王サルファはラウェルスの親友だ。彼の城になら、長期間愛馬たちを預けても、何の心配もないからだった。

 
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