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ジラルへ |
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1. 月のない夜更け。アディアーク城の広い廊下を、滑るように動くほっそりとした影があった。 今は全く使われていない部屋ばかりが並ぶこの一画は、灯明も衛兵の姿もない。太い大理石の柱の陰には闇がわだかまっていて、影はその闇そのものから生まれ出でたもののように見えた。 暗い廊下のいちばん奥に一つだけ、ごく細く開かれた扉からほんの僅かの明かりが洩れ出している部屋がある。影は素早くその部屋に入ると、そっと扉を閉ざした。 部屋の中も、たいして明るくはなかった。奥の卓の上に、流れるような美しい細工の黄金の燭台が置かれている。そこに灯る三つの小さな炎だけが、この部屋の明かりだった。 ぴったりと閉ざされた厚いカーテンの前で、振り向く者があった。容姿ははっきりとは見えずとも、その動作は優雅であり尊大であり、貴人であることが容易に想像できる。 その人物が卓の前の豪華な椅子に深々と腰を下ろすと、燭台の炎を受けて現れた容姿が、その想像が正しかったことを証明した。 眉目の鋭い、整った顔立ちの青年。輝く金の髪、硬質の光を放つ青い瞳。完璧な貴人の様相を呈したこの青年は、このアディアーク王国の第一王子、セシオス=ルスト=アディアーク――ラウェルスの兄王子だった。 「急の呼び出し、何か変わったことでもあったのか、プルミア?」 少々不機嫌そうな声音で、セシオスは卓の向こうに佇む影に声をかけた。 影と見えたものは実際は闇色の衣を纏った魔術士で、プルミア、と呼ばれたその魔術士は、目深に下ろした頭巾を落としもせずに、しかし恭しく礼をした。 「わざわざのお運び、いたみいります、殿下」 女性の声だった。 「重大なお知らせがございましたゆえ、おいでを願った次第。どうか、お赦しを」 「ふん……そのような謙虚な態度は、おまえの本当の姿ではなかろうに」 セシオスは笑って、掛けている椅子の肘置きに頬杖をついた。そんな仕草までが尊大で、威厳に満ち溢れている。そして、実に魅力的だった。この辺りは、さすがにラウェルスの兄だといえた。 「で、知らせとは?」 「はい、弟君のことでございますが」 「ラウェルスか。行方は掴めたのか?」 セシオスは弟であるラウェルスより四歳年上の二十四歳。彼は成人した二年後に、父王シクノスが新たに作った騎士団を与えられた。この騎士団はセシオスの直属であり、他の軍系統からは完全に独立していた。セシオスは自分の自由になるこの騎士団の者たちを、弟への刺客に使っていたのだ。勿論、内密にではあるが。 ラウェルスが王宮にいる間は、セシオス自身が弟暗殺を企てるということはなかた。自分を支持する貴族たちが勝手に動くことは分かっていたし、それならセシオスは自分の手を汚さずに済むからだ。もし、誰かが弟の始末に成功したら、その者は我が身栄達のため、これみよがしに恩を売ってくるだろうが、セシオスが頼んだことではなし、知ったことではない。逆にその者の弱みを握って抑えることができるではないか。 しかし、ラウェルスが密かに王宮からヴォーヌの塔に旅立った夜、こっそりとセシオスの寝室を訪れた者がいた。それが、今セシオスの前に影のようにひっそりと立つ魔女、プルミアだった。 プルミアは、父王にすら秘密にして決行されたラウェルスの旅立ちをセシオスに密告した。ただし、その真意は歪めて……。 弟君は密かに他の三国と同盟を結び、ご自分の味方になさる所存。国外に逃げてしまわれる前に、お捕らえになって始末なさいませ――と。 セシオスは決してバカではない。人を見る目も確かだし、権謀術策の才においては弟であるラウェルスよりも上だった。故に、当然ながら、この見知らぬ黒い魔女をすぐに信じたりはしなかった。 しかし翌日、弟の姿がどこにも見当たらないことを確認すると、セシオスはプルミアの提案を思案した。もしかすると、魔力でそう仕向けられたのかもしれなかったが……。 とにかくセシオスは、自分の騎士団の中から欲の深そうな、それでいて腕の立ちそうな者を何人か見分け、弟の暗殺に送り出したのだった。 暗殺を生業にしている者を雇う方が確実だったのだろう。しかし、セシオスはそういった者たちを信用していない。いや、他人を使うことはそれが誰であろうと後々面倒なことになると分かっていた。セシオスが安心して使えるのは、完全にセシオスの手が届く人間、全ての裁量がセシオスの手に委ねられている自分の騎士団の者だけだった。 しかし、結局騎士たちはラウェルスを暗殺することはできず、行方を見失った。返り討ちにあった者も数人いて、これ以上の犠牲は父王への申し開きができない。仕方なく、セシオスは暫く様子を見ることにしていた。 その間、プルミアは頼まれもしないのに、時折何がしかの情報をセシオスに提供してきた。そんなときは予め何らかの連絡があり、セシオスはいつもこの部屋で彼女と会うことにしているのだった。 そして、今夜も……。 |
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