屍術

5.

 そう言うと、屍術士は何やら呪文を唱え始めた。ナダはどきどきする胸を押さえ、息を殺して待った。
 家族が誰なのか、その名前が分かるだけでも嬉しい。だが……こんな黒焦げの動く死体と化した人のうちの誰かが自分の家族だと知ることは……それを受け容れることは、不快で恐ろしいかもしれない。
 期待と不安にがんじがらめにされているような思いを味わいながら、数分間が経過した。
 屍術士の口から経典の詠唱のように紡ぎ出されていた呪文が途切れた。
 ナダがそっと、隣に立つ屍術士の顔を問うように見る。しかし、屍術士は首を横に振った。
「残念ながら、この中にはおらんようだ。恐らく、実験の失敗で灰になってしまった者の中にいたか……ひょっとすると、お嬢さんたちが以前に壊してしまった者たちの中にいたか……どちらかだろうな」
「そんな……」
 もし、あのとき戦った死体たちの中にいたのだとしたら。そうならば、ナダは家族のことを知る唯一の手がかりと機会を自らぶち壊してしまったことになる。
――そんなことって……。
 茫然とするナダの傍に、ラウェルスがやってきた。おもむろにナダの左手を持ち上げ、傷ついた指先を見る。そこには、まだ少し血が滲んでいた。
 ラウェルスは、ムッとしたように言った。
「女の子はな、体に傷作ったりしちゃいけないんだぞ」
「だって……」
「だって、じゃない」
 ぴしゃりとそう言って、ラウェルスはナダの傷ついた指先を自分の口に運んだ。そして傷口を吸うと、ナダの血の混じった唾を床に吐いた。
「さっき、床に触れただろう。黴菌が入るといけないからな」
 さっきのキツい態度が嘘のように、ラウェルスはニコリとそう言った。
 赤くなるのも忘れるほど、ナダは呆気にとられていた。
「悪かったですね、ナダ」
 いつの間にか、レルディンも傍に来ていた。
「こうなる可能性を考えなかったわけではないのですが、襲ってくる死体というものは退くことがないので、破壊するしかなかったのです」
「え……? あ、ううん」
 慌てて首を横に振りながら、ナダは自分の中から失意の気持ちが薄れていることに気付いた。ラウェルスの突飛な行動のせいかもしれない。いや、そもそも、ラウェルスはそれを狙ったのだろう。
 勿論、残念な気持ちはあった。どうしても自分が何者なのか知りたかった。それなのに、どこかホッとしていた。こんなおぞましい姿の家族を見ないで済んだから。それに……。
「ううん、いいの。むしろ、ここまで探しに来られただけでも有難いと思ってる。お師匠様の塔に閉じ込められたままだったら、それすらもできなかったもの。ありがとう、ランもレルディンも」
 ナダはニッコリとそう言った。それから、ハッとして、慌てて言い足す。
「あ……屍術士のおじさんも」
 すると、屍術士は話したものかどうか迷いながらに言った。
「もし、どうしても知りたいのならな……ジラルへ行ってみるといいかもしれん」
「ジラル……?」
 ナダが首をかしげると、ラウェルスが答えた。
「千年前、魔王レナコルディが封じられたときに、その衝撃で滅んでしまった国だ。<大山脈>の奥にあった」
「よく知っとるな。そのとおりだ。今は<亡者の王国>と呼ばれとるがな」
 亡者……また死人だ。
――ちょっと遠慮したい気分だな……。
 ナダは顔をしかめる。それを見て屍術士は苦笑した。
「まあ、そんな顔をせんと聞け。そこにな、<紫光の宝珠>と呼ばれる宝があるらしいのだ」
「<紫光の宝珠>……?」
「そう。それをわしの元へ持ってきてくれれば、あるいは何とかなるかもしれん」
「どういうことですか?」
 そう尋ねたナダだけでなく、ラウェルスも同じ疑問を抱いて屍術士に注目した。レルディンは相変わらずの無表情で、何を考えているのか分からない。
 屍術士は答えた。
「<紫光の宝珠>には魔王の力の一部が込められとってな、それを持つ者は、その魔力を得ることができるというのだ。わしがその力を得られれば、わしの研究が完成するかもしれんではないか。そうしたら、ここの死体たちを甦らせてきちんとした話を聞くことなど簡単なことだ。たとえ完成をみないまでも、今より良い状態には必ずできる。どうだ? 取りに行ってみんか?」
 ナダは判断しかねた。前回は<精霊の水晶>、今度は<紫光の宝珠>。なんだか、体よく使われているだけのような気がしないでもない。ラウェルスの横顔を見てみると、彼は全てを見通そうとするかのように、ひどく鋭い目で屍術士を見据えていた。
 王子として――将来一国の王となる可能性のある身として、ラウェルスは人を見る目は養ってきたつもりだ。他人の真意を見極める目を。
 屍術士はラウェルスと目を合わせはしなかったが、かといっておどおどしているわけでもない。別にどう思ってもらっても構わない、そんな態度だ。
 ラウェルスは腕組みして言った。
「そんなすごい代物なら、どうしてとっくに自分で取りに行っていない? <精霊の水晶>の場合は納得できる事情があったが、今度は何だ?」
「それがよくある、"いわくつき"ってヤツでな。<紫光の宝珠>を取りに行って、生きて戻った者はおらんという。そんな危険な場所へ、わしなどが行ってこられるわけがなかろう? わしの魔術は身を守るのには役立たん。勿論、戦いにもな。頼みの綱はこの死体たちだけだが、まさか、天下の往来を死体連れで旅するわけにもいかんしな」
 生きて戻った者はいない――それを聞いて、ナダはためらった。そんなに危険なのなら自分たちにだって無理だし、自分のためにそんなことをラウェルスやレルディンにさせるわけにはいかない。
 なのに、ラウェルスは自信たっぷりの笑みを浮かべて言った。
「面白いじゃないか。そうと聞いたら行きたくなった。ナダ、ジラルへ行くぞ」
「えっ、行くって……」
「わたしも行ってみたいですね。わたしの調べものにも役立ちそうですし」
 それまで何も言わず黙々と話の成り行きを見守っていたレルディンまでもが、涼しげな微笑を浮かべてそう言った。
――この人たち、どうなってるの? 自分たちも生きて戻れないかも、なんて心配、しないわけ?
 ナダは二人の美男の顔を交互に見比べたが、二人ともそんな心配は全くしていないようだ。巻き毛をクリクリと指に巻きつけながら、ナダは肩を竦めた。
「では、わしはおまえさんたちが持ってきてくれた<精霊の水晶>を利用する方法を研究してよう。わしはいつでもここにおるからな。楽しみに待っとるよ」
 屍術士がそう言うと、ラウェルスは再びきつく屍術士に目を向けた。
「言っておくがな、俺はまだ屍術というものを認めたわけじゃないんだからな」
「分かっとるよ。だが、いつか、わしの研究が偉大なものだと気付いたら、あんたらの死体を提供してくれ。あんたらは、きっと素晴らしい死体になろうからな」
 屍術士の死神めいた、そのくせなぜか愛想のいい笑みに、ナダは顔をひきつらせて一歩二歩後じさった。
 ラウェルスは悠然と微笑んだ。
「ふん。だったら、俺より長生きしないとな。まあ、もっとも俺は、まだまだ死ぬ気はないが」
 屍術士は声をたてて笑った。それは彼にとっては、何十年かぶりのことだった。
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