屍術

2.

 黒く煤けて所々が崩れたラトカーティス神の神殿の中は、今日も暗かった。
 崩れた箇所から入る僅かな光を頼りに奥へ進み、途中にある祭壇で神への祈りを捧げたナダたちは、更にその奥の下り階段のある部屋に足を踏み入れた。前回ここを訪れたときは<動く死体>との大乱闘があったのだが、今回は何もない。
 よくよく考えてみれば、神聖なラトカーティス神の神殿の地下で、よりにもよって屍術の研究をするとは、たいそう不遜な行為だ。なのに、なぜあのレルディンが、そういうことに敏感そうなこの銀の髪の美青年が、屍術士に対して非難しなかったのだろう。以前ここを訪れたときはまだレルディンの性格をよく知らなかったから何も思わなかったが、知っている今となるとナダには疑問に思えてならなかった。ラウェルスだって、あのときあんなに非難していたのだから。
 ナダは、そのことをレルディンに尋ねてみた。
「それは勿論、わたしも屍術など認めてはいませんよ」
 レルディンは答えた。
「死体にかりそめの命を与えるなど、忌まわしいことです。彼は不老不死を求めていると言いましたが、生命というものは、人間などが軽々しく扱ってよいものではありませんからね。もし、わたしの旅の目的がこれ程重大なことでなければ、間違っても屍術士などに助力を乞いなどしませんでしたよ」
「ふうん……」
 それほどまでに重大なレルディンの旅の目的とは、いったい何なのだろう。ナダはすごく気になった。しかし、レルディンが旅の目的を「重大」だとか「大事」だとか口にするときには、それを追及させない何かがある。だから、訊けない。勿論、ナダに人のことを詮索する権利は全くないのだし……。
 三人は地下への階段を下った。
 地下は前回来たときと同じように、松明で照らされていた。しかし、喜ばしいことに、ここにも死体は全く見当たらなかった。それでもナダはまだ完全には安心できず、我知らずギュッと握り締めているラウェルスの袖を離さない。
 やがて一体の死体にも出会わないまま六本の松明を過ぎ、ナダたちは古びた扉の前に辿り着いた。ここが屍術士の部屋だったはずだ。
 ラウェルスが二度、扉を叩いた。
 暫くすると足音が聞こえ、扉が開いた。そこには灰色の魔術士の衣を痩せた体に纏った、中年の男が立っていた。やはり魔術士というよりは、ただの疲れたオジサンのようだ。
 屍術士はナダたちの顔を見ると、目を丸くした。
「おお、おまえさんたちか。本当にまた来るとはな。物好きなことだ」
「情報をもらう約束がなければ、誰が好き好んで二度もこんな所に来るか」
 ラウェルスはそう言ったが、屍術士は気にしたふうもなく、そうだろうな、と頷くと、扉を大きく開けた。
「まあ、とにかくこんな雪の中、よく来たな。寒かったろう。お入り」
「死体……ない……?」
 ナダが不安そうにそう言って、まだラウェルスの袖を掴んだままキョロキョロと室内を見回した。古びた本がぎっしり詰まった棚や、よくわからない道具や臓物の薬品漬けの瓶などが納められた戸棚は以前のままだが、お気に入りだとか言っていた二体の死体は見当たらない。
「大丈夫だよ、お嬢さん。冬はこの部屋は暖炉に火を入れるもんでな。死体たちが痛み易くなるんで他に移しとる」
「そういえば、廊下でも全く見かけなかったが」
 ラウェルスがそう言うと、屍術士は顔をしかめた。
「またおまえさんたちのようなのが来て、あれ以上わしの可愛い死体たちを壊されたらかなわんだろうが。だから、死体安置室にしまっといたよ」
 それを聞いて、ナダはやっと本当に安心して部屋の中に入った。最後に入ったレルディンが扉を閉めて、火の傍に用意された長椅子に、他の二人とともに静かに腰を下ろした。
 すると、屍術士は言った。
「で、精霊の水晶は持ってきてくれたのかな?」
「勿論だ。――ナダ」
「うん」
 ラウェルスに促されて、ナダは腰から皮袋を外した。紐で縛ってある口を緩めて、中身を一個ずつ、そっと机の上に並べていく。親指と人差し指で作った円くらいの大きさの水晶玉が四つ。それぞれ、中心部が別の色に染まっている。
 青――水精の水晶。
 白――風精の水晶。
 赤――炎精の水晶。
 黄――地精の水晶。
 いろいろなことがあった。今四つの精霊の水晶を見て、改めてナダはそう思った。春の終わりにラゥエルスがヴォーヌの塔に来て、旅に連れ出してもらってから、およそ八ヶ月。いろんな街へ行った。いろんな物を見た。いろんな人に会った。いろんな体験をした。ラウェルスやレルディンという仲間、ルイン姫という初めての友達もできたし、世界が狂ってきていることも知った。やっと触れられた大好きな世界なのに、ショックだった。
 世界が狂ってきている――これについては、ナダはどうすればいいのか分からない。ラウェルスやレルディンはどう思っているのだろう。どうするつもりなのだろう……。

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