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3.
ラウェルスは剣を鞘に収め、レルディンの傍へサリオスを進めた。 「レルディン」 ラウェルスは鞍から降りようとした。が、ふと気付いて、それをやめた。ナダがまだ、ひどくがっちりと彼にしがみついたままだったのだ。 そんなことには全く気付いていないナダも、そのまま心配そうに声をかける。 「大丈夫……?」 「ええ……」 レルディンは、すぐに立ち上がった。見たところ外傷もなく、二人はホッとした。 「すみません」 レルディンは言った。 「彼女たちは気が弱く、少し脅せばすぐに手を引くことは分かっていたのですが……どうしても彼女たちに剣を振るうのはためらわれて……」 「あれは何だ?」 「彼女たちは、<樹の乙女>です」 レルディンは、さっきまで自分を捕らえていた木を悲しげに見遣った。 「この森の木は、こんな隅の方でも何本かは<樹の乙女>なのです。妖精の一種で、普通は絶対に人間の前には姿を現さないのですが……。人馬たちもそうです。彼らは妖精の一族ではないのですが、この森の守護者で……それでも、人間が何か森に危害を加えない限り、攻撃してくることはおろか、人前に姿を現すことすらありません……」 沈黙が落ちた。三人の脳裏をまたもや同じ言葉がよぎる。 世界が狂ってきている……。 レルディンは、ひらりとテュイアに跨った。 「申し訳ありませんが、少し寄り道させてもらえますか? 確かめたいことがあるので」 レルディンは不思議なほど物知りだ。世界のことを殆ど何も知らないナダは勿論のこと、王子としてそれなりに世界のことを頭に叩き込まれているラウェルスでさえ、そう思う。二人にとって、レルディンは謎の多い人物だ。 しかし、レルディンを信用できないとは思わない。それに、誰にでも他人には言えない事情の一つや二つはあるものだ。 ラウェルスは頷いた。 「ああ、構わない」 「ありがとうございます。では、行きましょう」 レルディンは静かに微笑み、テュイアを歩ませた。 ラウェルスもその後に続いて、サリオスを歩ませる。ナダはまだラウェルスにしがみついていて、ラウェルスはクスリと笑った。気付かせてやったらどんな反応をするか、ラウェルスはよく分かっていた。 「なあ、ナダ」 「はい?」 「そんなにしがみついていなくても、もう落ちないぞ。まあ、ずっとそうしてくれていても、俺は一向に構わないがな」 半分だけ見えるラウェルスの振り向いた顔に、面白がるような笑みが浮かんでいる。一瞬ナダは呆け、その次の瞬間に顔を炎の精霊よりも真っ赤にして、慌ててラウェルスから腕を解いた。あまりに慌てすぎて、危うくサリオスの背から落ちそうになった。 「なんだ、離すのか。残念だな」 ラウェルスはクククっと笑う。 ナダはまだ真っ赤なままの頬を膨らませて、目の前の背中を殴ってやろうと拳を固めた。しかし、その瞬間サリオスが大きく揺れ、その拳はラウェルスのマントを掴むことになった。 わざとかもしれない。しかし、ナダは諦めて、そのままラウェルスのマントを掴んでいた。 この呆れるほど自信家の王子には、到底敵わない。そして、ナダはそんな彼が好きだった。いつも自信たっぷりに、この世界で生きていることを思い切り楽しんでいるような、そんな姿が好きだった。
それからすぐに差し掛かった分かれ道で、レルディンは東の方へナダたちを導いた。それからの道はひどくややこしくて、ナダは途中で方向感覚を失った。ぐるぐると同じ道ばかりを通っているような気がしていたが、やがて道は少し開けた空き地で行き止まりになった。 「わぁ〜」 ナダが声を上げた。 空き地の奥に、信じられない大きさの木があった。人間が何十人も手を繋いでやっと囲むことができそうな太い幹だ。いや、これはもう、小さめの塔と言ったほうがいいかもしれない。 巨木の広く張った太い根につまづかないように馬たちを進める。いったいどのくらいの高さがあるのだろうかと見上げてみたナダだったが、巨木の幹は周りの木々のよく茂った葉の中を貫いていて、どこまで伸びているのか全く見通せなかった。 視線を根元に戻すと、人間が屈んで辛うじて入れそうな洞があった。レルディンはテュイアの背から降りてその洞を覗き込むと、再び顔を出して言った。 「馬たちは、この空き地に置いていきましょう。この辺りでわたしたちを襲ってきた者はいなかったので、大丈夫でしょう」 ラウェルスはサリオスからひらりと飛び降り、ナダが降りるのに手を貸した。サリオスは普通の馬よりも大きい。あまり背が高くないナダには、乗るのも降りるのも一苦労だった。 「あまり遠くまで行くなよ」 ラウェルスがそう言って漆黒の首筋をポンポンと叩いてやると、サリオスは少し頭を下げてから巨木の根元を離れ、空き地に生えている草を食べ始めた。 「あなたもどうぞ」 レルディンにそう言われて、テュイアも食事を始めた。二頭ともゆく躾けられた書く濃い馬だから、繋いでおく必要はなかった。 「では、ついて来てください」 そう言うと、レルディンは身を屈めて木の洞に入っていった。ナダとラウェルスも、それに続いた。 中は真っ暗だった。そのためどのくらいの広さかは分からないが、少なくともナダたち三人が真っ直ぐに立てるだけの高さと広さはある。 暗闇の中で、レルディンが一言何かを呟いた。 すると……。 「わあ……!」 ナダが声をあげた。 薄桃色に淡く光る階段が、暗闇の中に突如として現れたのだ。明かりが順に灯っていくように、その階段は幹の内側に沿って螺旋を描き、遥か上方まで延びていった。 レルディンが先頭に立って、その階段を上っていく。 「ナダ、先に行け」 ラウェルスにそう言われ、ナダは恐る恐る一段めに片足を乗せてみた。レルディンが先に上っているのだから大丈夫なのは分かっているのだが、あまりに階段が儚げだった。しかし、思い切り体重をかけてみて、ナダはやっと安心した。軽快に美しい階段を上り始めたナダのすぐ後を、ラウェルスが上っていった。 階段以外は何も見えない。階段自体が微かに放つ薄桃色の光が照らす空間には何もなく、それ以外は完全な暗闇だった。ここがあの巨木の幹の中だという実感もまるでなく、足元の階段の存在もまるっきり実感がなかった。踏んでいる足の裏に、何の感触もないのだ。落ちないのは確からしいが、ナダにはどうにも心許なかった。 階段は果てしなく続いているように思われた。そして、もうそろそろ時間の感覚がなくなってきたという頃、不意に何か圧迫感のようなものを感じた。<しかし、それはほんの一瞬のことで、階段は今までと変わりなく、真っ暗闇の中を延々と螺旋を描いて伸びていた。 やがて上方に小さな明かりが現れた。それがどんどん大きくなり、ナダたちは遂に部屋のような場所の床から顔を出した。 そこは円筒形の部屋で、上の方に一つだけある窓へは木の梯子がかかっている。花のいい香りが満ちていて、木の壁にはとても可愛らしい桃色の花の形のランプが灯っていた。 そのあまりの可愛らしさに、部屋に入ったナダが近づいてよく見てみると、それは本物の花だった。釣鐘の縁にレースのフリルを付けたような形をした桃色の花の中に、ヴォーヌの塔の燭台に灯っていたような魔法の丸い光が灯っているのだった。 「ここ、何なの……?」 ナダはレルディンに目を向けた。すぐ後から部屋に入ったラウェルスも、明らかに説明を求めているようにレルディンを見ている。 レルディンは、そんな二人を見て微笑んだ。 「そうですね。ここから先へ行く前に、お話ししておいた方がいいでしょうね。ここは翅妖精の里です」
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