エトネーラの森

2.

 決して恐ろしげな生き物ではない。こんな状況でさえ、彼等の人間の上半々の逞しさや馬体の美しさを賞賛できる。しかし、その金茶の目……そこには異様な光があった。
 レルディンの前方で道を塞いでいる人馬族が、言った。
「ここは我等の森だ。それを侵す人間どもには、死あるのみ」
「待ってください」
 レルディンが言った。
「わたしたちは、この森を通り抜けるだけです。あなたたちにもこの森にも、危害を加える気は一切ありませんよ」
「信じられない。人間など、信じられない」
 人馬族たちは四本の蹄を踏み鳴らし、矢をつがえた。レルディンの目が翳った。
「……わたしが分からないのですね……」
 誰にも聞こえない程の小声でそう呟く。そして、斜め後ろのラウェルスに、振り向かずに声をかけた。
「ラウェルス、跳べますか?」
 言われた意味をすぐに悟り、ラウェルスは上を見た。ここの木は背が高く、幹の低い位置に枝はない。大丈夫だろう。
「ああ。レルディン、おまえが先に行け。俺の祈りの詠唱が終わったらすぐに、だ」
「分かりました」
 レルディンはラウェルスの作戦を理解して、自分の愛馬のテュイアに何やら耳打ちした。
「ラン……?」
 ナダは不安いっぱいに声をかけた。ラウェルスとレルディンは互いに理解しているようだが、ナダには二人の会話がさっぱり掴めなかった。
 ラウェルスはナダにしか聞こえない程度の小声で言った。
「君は短刀の準備をしろ。レルディンが跳んだときに、あの真ん中の人馬の弓を狙うんだ。その後すぐに、しっかりと俺に掴まれ。いいな?」
「うん」
ナダはとにかく従うことにした。人馬族たちには気付かれないよう、腰からそっと短刀を抜き、道を塞ぐ人馬族の弓を見据える。
 ラウェルスが小声で、祈りの詠唱を始める。

  <風の王>フェンキベルよ
  御身の僕たる我を護り給え
  流れる風で我を包み給え

 ふわっと、微かな風がラウェルスの周囲を、ナダや愛馬のサリオス共々取り巻くのが感じられた。
「レルディン!」
 ラウェルスの声で、レルディンは馬腹を蹴った。テュイアは驚いたことに、殆ど助走もなしに高々と飛び上がった。そのまま、道を塞ぐ人馬を飛び越えようとする。
 人馬が慌てて、弓を上に向ける。
 ナダの手から、短刀が飛ぶ。短刀は弓の弦を切断し、その向こうの木の幹に突き立った。
 その間にレルディンは無事に人馬の向こうに着地し、駆け出した。
「よし。ナダ、落ちるなよ」
 そう言うなり、ラウェルスもサリオスを走らせた。人馬の手前で、サリオスの漆黒の馬体が舞い上がる。
 とっさにナダは、絞め殺してしまうのではないかという程強く、ラウェルスにしがみついた。後ろから弓の弦音がしたが、当たらない。
 そして、サリオスも見事に人馬を飛び越えた。レルディンを追って、しかし、適当な距離を保って駆ける。
「逃がすな!」
 人馬族たちとともに、次々と矢も追ってくる。ナダは恐ろしくてたまらなかったが、なぜか一本も当たらなかった。それで少し気持ちが落ち着いてみると、矢は全て、傍まで来ると急に横風に煽られたように逸れてしまうことに気付いた。
(ああ、あの祈りの詠唱……)
 そう、ラウェルスを、後ろに乗せられているナダや二人を背に乗せているサリオスも含めて、その周囲には護るように強い風が吹いているのだ。剣やナダの投げた短刀などは重くて無理だが、矢のような軽いものは、全てその風に向きを変えさせられてしまう。それでラウェルスはレルディンを先に行かせ、自分が囮になっているのだ。
 飛んでくる矢が減ってきた。人馬族たちも何かがおかしいと気付いたのだろう。矢はひどく不自然にその進路が歪められ、どうしても標的に当たらないのだから。
 やがて諦めたのか矢が尽きたのか、人馬族たちが追ってくる蹄の音がしなくなった。ナダは振り返り、人馬族の姿が見えないのを確認すると、はぁ〜、と大きく溜息をついた。
 ラウェルスが心からの称賛を込めて言った。
「素晴らしい腕前だな、ナダ。俺はあの人馬の気を逸らしてくれればそれで良かったんだが、まさか、弦を切ってしまえるとはな」
「え……違ったの? あたし、てっきり弦を切るんだと思って……。ひょっとして、あんなことしちゃダメだった……?」
 ラウェルスは苦笑した。「とんでもない、褒めてるんだぞ。もっと自信をもて」
「そうできたら……いいんだけど……」
 ナダはやはり自信なげに、そう呟いた。
 そのとき、前方から叫び声が聞こえた。レルディンの声だ。
「ラン!」
「ああ」
 ラウェルスはサリオスの速度を上げた。
 すぐにテュイアの姿が見えた。しかし、乗り手であるレルディンの姿が、その背にない。
「ラン、あそこ!」
 ナダが指差した先に、レルディンはいた。しかし、木の枝に巻き付かれ、宙に浮いて……。
 駆け寄ろうとしたラウェルスたちの方へも、別の木の枝が伸びてきた。
 その木へ向き直りざま剣を抜いたラウェルスとその背後のナダは、異様なものを見た。
 木の幹から、美しい人型の女性の上半身が現れていた。腰から下は、自然に幹と融合している。そして腕も、肘から先が木の枝になっている。その枝が襲ってきているのだった。
 ラウェルスは枝をかわしながら、サリオスを進めた。所詮は木ということなのか、根を張った場所からは動けないようで、一度かわした枝は、もう二人には届かない。しかし、すぐに別の枝が襲ってくる。
 一本の枝がナダに触れる。
「ランっ!」
 ナダの悲鳴にラウェルスは上体を捻り、剣でその枝を切り捨てる。木は、というか木の幹から現れている人型の上半身が人間の女性と同じように悲鳴をあげ、枝を引っ込めた。
 基本的に臆病なのか、それをきっかけに全ての枝が引っ込み、女性の人型の上半身が木の幹に吸い込まれるように消えた。レルディンを捕らえていた木もその枝をほどき、レルディンはどさりと下生えの草の上に落ちた。 
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