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1.
その森は、そこに一歩足を踏み入れた瞬間から、他の森とは違うと感じさせる何か独特の雰囲気を持っていた。 森の生命力、だろうか。 初秋の森は、まだそんなに色を塗り替えておらず、殆ど緑のままだ。それはどこの森でも同じなのだが、その緑の色合いが、ここでは全くくすんでいない。真夏のいちばん生き生きとした葉の色だった。 それに、ハッとするほど空気が澄んでいる。こんな空気には、<風の祠>がある天空の島、<風の島>でしか出会ったことがない。その澄んだ空気を切り取る木漏れ日も、やけに神秘的で……。 ここはアラウィサクでいちばん美しい森だ。そう断言できた。しかし、長くはここにいたくないと思わせる何かがある。 溢れる生命力ゆえか、森自体にじっと見つめられているように感じるのだ。それは決して見守るような温かな視線ではなく、監視のようだ。無言の威圧。そんな中では、とても落ち着けなかった。 ナダたちは数日間この森を歩いてきたが、めっきり口数が少なくなっていた。本当なら、キレイ、と大はしゃぎしそうなナダが美しい花畑を見ても近寄りもせず、ラウェルスは悠々とした態度の裏側で森の威圧に対抗している。ただ、レルディンだけは元々いつでも口数が少ないため、彼だけが全くの普段どおりに見えた。
そんなある日のことだった。 いつものように大きな漆黒の馬サリオスの背の上、ラウェルスの後ろに乗せてもらっているナダが、今朝食事をしたとき以来の声をかけた。 「ラン」 「ん? どうした?」 「うん……気のせいかもしれないんだけど、何か木がヘンじゃない?」 言いながら、ナダは過ぎていく木々に不安そうに目を向けた。全てが変なわけではない。ときどき、妙に生き物のように感じる木があるのだ。 「さっきなんか、枝が動いた木があった。あ、ほらっ!」 ナダが指差した瞬間、その枝は動きを止めた。 「何か小動物が枝を渡ってるんじゃないか?」 ラウェルスはそう言ったが、ナダは納得できない。 「小動物なんて、ううん、どんな動物も、この森に入ってから何日か経つけど、一回も見かけないのに?」 「じゃあ、風か……」 「風なんか吹いてないっ!」 ナダは神経質にラウェルスの言葉を遮った。ラウェルスは驚いて愛馬を止め、ナダを振り返った。 「あ……ごめんなさい」 ナダは俯いた。 「何か……緊張感に押し潰されちゃいそうで……」 「大丈夫。俺がいる」 ラウェルスは、いつもの自信満々の笑みを浮かべた。たったそれだけなのに、不思議にもナダの心は軽くなった。ラウェルスの自信はいつも呆れるほどだが、なぜだかそれがナダに勇気を与えてくれる。 ナダは、くすっと笑った。 「いつもながら、すっごく自信家ね、ラン」 「ああ」 当然だというように笑って、ラウェルスは再びサリオスを歩ませた。 それから暫くして、今度はレルディンが愛馬の足を止めた。 「どうした、レルディン?」 後ろをついてきたラウェルスも再びサリオスの足を止め、怪訝そうに訊いた。レルディンは何かに神経を集中させているように、どこでもない一点を見つめたまま、小声で答える。 「足音が多かったような気がします」 「足音?」 「ええ、馬の足音です。サリオスとテュイア以外の馬の足音がしたのですよ」 ラウェルスは頭は動かさず、目だけで辺りを見回した。 何も見つけられない。 そもそも、森自体の視線が絶えず向けられているため、気配がごちゃ混ぜになっていて分からない。 しかし、ナダもレルディンも、それぞれに何かがあると感じているのだ。きっと何かある。 「馬を歩かせてみよう」 ラウェルスはそう言って、耳に神経を集中させた。 二人がそれぞれの愛馬を静かに歩ませる。すると、確かに別の足音が聞こえた。 レルディンが震える声で、囁いた。 「もしかとて……でも、そんなバカな……」 ナダとラウェルスが目を向けると、レルディンの表情が何かを恐れているかのように僅かに引き攣っていた。以前メリトの廃墟で<動く死体>を目の前にしたときですら、全くの涼しい表情を変えなかったレルディンが……。 「レルディン?」 「レルディン、どうした?」 ナダとラウェルスが声をかける。 「この森まで狂ってきいてるようです」 答えたレルディンの声は、もう普段どおりだった。 「わたしたちは、この森の住人に狙われています」 「住人?」 「話は後です。走りましょう」 レルディンはテュイアを走らせた。ラウェルスもそれに続く。 ヒュン、と音がして、一本の矢がテュイアの鼻先すれすれをかすめた。レルディンは慌てて手綱を引き絞り、ラウェルスもサリオスを急停止させなければならなかった。 そしてそのとき、サリオスとテュイア以外の馬の足音の正体が分かった。 馬の身体に人間の上半身をもつ生き物たちに、周りを遠巻きに囲まれていた。
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