4.

「何かいい脱出方法は考えたのか?」
 ナダは答えず、ぽかんと王子の顔を見ている。ラウェルスは肩をすくめた。
「その様子じゃ、何も考えてないんだな?」
「だって……玄関の扉には魔法の鍵が掛けられてるし……」
 ラウェルスはナダの手を握ったまま、じっと思考を巡らせているようだった。が、やがて手を離すと、窓際に立って窓の下をじっと見た。それが済むと今度は振り向いて、しげしげとナダの全身を眺めた。
(何……?)
 ナダが首をかしげている間に、ラウェルスは戻ってきた。
「ナダ、ちょっと立ってみろ」
「はい」
 素直に従った瞬間。
「きゃっ!」
 思わずナダは小さく悲鳴をあげた。ラウェルスにいきなり体を抱え上げられたのだ。そして、ぽんぽんっと軽く投げ上げられる。
「軽いな。これなら受け止められる」
「……?」
「俺がそこの窓から飛び降りる。そこで待っていてやるから、ナダ、君もそこから飛び降りろ」
「ええーーーっ!? そんなムチャな……」
 確かに、この部屋は窓のある部屋の中ではいちばん低い位置にある。しかし、だからといって飛び降りられるくらいなら、とっくにそうしている。ここから飛び降りても死ぬことはないだろうが、骨折くらいはしそうな高さなのだ。
 しかし、ラウェルスは悠然と微笑んだ。
「大丈夫、俺は平気だ。君は俺が受け止めてやる。心配するな」
 それでラウェルスは、窓の高さとナダの体重を確かめていたのだ。そう納得した瞬間、ナダはハッとして真っ赤になった。
「あの……王子様……」
「ん?」
「下ろして……ください……」
 ナダはまだ、ラウェルスに抱き上げられたままだったのだ。
「ああ、忘れてた」
 面白そうに笑ってそう言い、ラウェルスは丁寧にナダを下ろした。
 まだドキドキしながら衣の長い裾を整え終えたナダが顔を上げてみると、ラウェルスは荷物をまとめていた。ナダは目をぱちくりとしてそれを見ていたが、そうしている間にラウェルスは薄茶色のマントを羽織り、荷物を詰め終えた皮袋を肩にかけた。
「よし、行くぞ」
 そう言ったラウェルスの顔を、ナダはきょとんと見る。
「行くって、あの……」
「何言ってるんだ。この塔から脱走するんだろうが」
「って……今すぐ、ですか?」
「その方がいいだろう? ヴォーヌにも気付かれずに済むし」
 確かに、いかな大魔術師のヴォーヌとて、今晩いきなりナダが家出をするだなんて、思いつくはずがない。しかし、いくら何でも、これは唐突すぎる。それに……。
「でも王子様、お師匠様に剣を預けたままでしょ?」
 ナダはそう言った。しかし、ラウェルスは、あっさりと答えた。
「構わないよ、別に。アールスがあまりにも心配して、どうしても、って言うから従っただけなんだから。俺は最初から、魔力に頼るつもりはなかったし」
「でも……」
「つべこべ言わない。黙って俺の言うとおりにしろ。いいな?」
 ラウェルスはぴしゃりと言い切った。ナダの目に、じっと目を据えて。その目と声には、王子ゆえの他人を従わせる力があった。
「……はい」
 ナダは思わず頷いてしまった。
 すると、今の目が嘘のように優しく笑った。
「よし、いい子だ。じゃあ、行くぞ」
「あ、待って」
「何だ? まだ何かあるのか?」
 ラウェルスは窓際で振り向き、僅かに眉根を寄せる。
「あの、あたし、まだ何も準備してないんですけど……」
「何も要らないよ。後で俺が揃えてやるから」
 それだけ言うと、ラウェルスは窓枠に片膝立ちになった。ナダは歩み寄り、心配げにラウェルスを見る。ラウェルスは静かに目を閉じ、祈りの言葉のようなものを呟き始めた。

  風の王フェンキベルよ
  我は御身に仕えるべき定めの血を持つ者
  されば御身のその腕を我に差し伸べ給え

 微かな風が、ラウェルスの炎の髪をゆらめかせた。そして目を開けた王子は次の瞬間、何のためらいもなく窓枠から飛び出した。
 とても軽やかに、とても優雅に、ラウェルスは殆ど音も立てずに着地した。
「うそ……」
 見下ろしたナダは、信じられない思いで呟いた。この高さかでそんな芸当ができるなんて、いったいラウェルスの運動神経はどうなっているのだろう? それとも、呟いていたあの言葉は……魔法?
 感嘆の溜め息をついたナダの眼下で、ラウェルスは荷物を地面に置いて手招きした。ナダはビクンと体を強張らせた。
 ラウェルスは、きちんと受け止めてやると言った。だが、やはりナダには怖い。いくら怪我はしないと分かっていても、こんなに高い場所から飛び降りるという事実だけで充分に怖い。
(でも、信じるしかないのよね。王子様を信じてここから飛び降りないと、あたしはもう二度と塔から出られないかもしれないんだもん……)
 ナダは恐る恐る窓枠によじ登った。そして今一度、しげしげと下を見てしまう。
 暗いながらもラウェルスがナダの目を捉え、勇気づけるように頷く。それに励まされ、ナダは心を決めた。目をきつく閉じ、視界と一緒に恐怖も閉め出そうとする。
 恐怖は完全に閉め出すことはできないけれど。
 自分の一生がこれで変わるのだから。
 ナダは遂に身を躍らせた。
 憧れた外の世界へと。

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