炎の祠 〜熱砂の遺跡〜

9.

 抜き身のレルディンの細剣の柄を握り締め、唇をぎゅっと引き結んで、ナダは一人、先へ進んだ。上の階はかなり複雑な道だったが、この階は島が少なく、迷うことはなさそうなのが有難かった。
 三つめの橋を渡っている途中で、いやな臭いがした。革の焦げる臭いだ。あまりの高温のため石が熱せられて、靴の裏を焦がしているらしい。ルイン姫の髪の腕輪は装備者自身は守れても、その者の身につけているものまでは守れないようだ。ナダは石橋を爪先で走り抜けた。
 次の島には、下りの階段があった。それを下ると目の前に炎の川が横たわり、その向こう岸の壁に、祠の入り口と同じ模様の扉があった。その扉へ向けて架かっている橋を渡り、ナダは扉の前に立った。ここが祭壇の間だ。
 深呼吸。
 全身を震わせるほど、心臓がドキドキする。
 もう一つ、深呼吸。
 ナダは扉を押し開けた。扉は熱かったが、腕輪のおかげか、火傷するほどではなかった。
 白さで一瞬、目が見えなくなった。それに、少し涼しくなった。何度かまばたきしわして目が慣れてみると、そこにはナダが<水の祠>でも見たのと同じ作りの、白い大理石の祭壇があった。ここに来るまで赤い空間にいたため、この部屋の白さにはホッとした。
 だが、祭壇の前の台座に一歩でも近寄れば、炎の精霊が襲ってくる。
(怖い……)
 ナダは唇を噛んだ。剣を持つ手が小さく震える。こんなことではいけない。ナダは頭をぶんぶんと振った。
 あれこれと策を考えるより、成り行きに任せたほうがうまくいく気がした。そもそも何も思いつけない。ナダはレルディンの細剣を今一度ぎゅっと握り締め、覚悟を決めて一歩踏み出した。
 何も起こらない。
 もう一歩進んでみる。
 やはり何も起こらない。
 ナダは思い切って台座の前まで進んだ。もしかしたら、炎の精霊は襲ってこないかもしれない。ほんの少しだけそれを期待して、ナダはそろっと台座に両手を触れた。
 その瞬間。
「きゃあっ!」
 前方から炎が噴き出し、ナダは腕で顔を覆いながら慌てて後ろへ跳び退いた。幸い、ほんの僅かのところで炎はナダに届かなかった。
 ナダは顔を上げて、正面を見た。
 そこには、全身に真っ赤な炎を纏い荒れ狂う炎そのものの髪の、真っ赤な男性の姿があった。炎の精霊だ。その出現で祭壇の間は赤く染まり、温度が急激に上昇した。
「ワガ ホノオ ニ ヤカレテ ショウメツ セヨ」
 言うなり、炎の精霊は再び炎を噴き出した。ナダは慌ててしゃがみ、それを避けた。
 ルインの髪の腕輪は、どの程度まで守ってくれるだろうか。
 と考える間もなく、次の炎が襲ってくる。ナダはこれもうまく避けたが、いずれ失敗するときが来るのは分かっていた。
 ナダは本当に覚悟を決めた。ナダの無事を願って編んでくれた、炎の精霊王の加護を持つルイン姫の髪の腕輪がある。とりあえずは、そんなひどいことにはならないと信じよう。
 そう決めると、ナダの行動は素早かった。レルディンの細剣を構えて、再び吹き付けてきた炎をかいくぐり、炎の精霊の懐に飛び込んだ。炎を放つ距離が開いていないため、炎の精霊は炎に包まれた腕を振りかぶる。しかし、少々の火傷は覚悟しているナダは、逃げなかった。そして、細剣を繰り出す。
 が……。
「あっ!」
 剣を扱い慣れていないナダの突きは、見事にかわされてしまった。そのまま体勢を崩すナダに、炎の腕が振り下ろされる。
 逃げられない。ナダは思わずぎゅっと目を閉じて、縮こまった。
 しかし……。
「……?」
 なぜか、いつまで経っても炎の腕に殴られなかった。わけがわからず、ナダはそろーっと顔を上げてみた。
 炎の精霊は、身動きが取れないようだった。何か目に見えない縄で縛られてでもいるかのように、身悶えしている。
 そして次の瞬間、ナダは不意に何かゾワゾワーっとしたものを感じた。
(何か……いる……?)
 ナダはキョロキョロと虚空を見回した。しかし、何も見えない。
すると、炎の精霊の辺りから、知らない声が聞こえた。
『早くせよ。我々が炎の精霊を抑えているうちに』
「え……?」
 ナダは声のする方へ目を向けたが、炎の精霊の姿以外は、やはり何も見えない。
『早くせよ。我らはサグナーラの王だ。心配することはない。しかし、長くはここに留まれぬ』
 ナダは理解が早い。すぐに状況を把握し、頷いて立ち上がった。
「ごめんね……」
 悲しげにそう言うと、ナダは魔法のかかったレルディンの細剣で、身動きのできない炎の精霊の体をそっと貫いた。
 炎の精霊は一度力なく揺らめくと、スッと消えてしまった。
 祭壇の間が白く戻り、温度も下がった。ゾワゾワとした感覚もなくなり、ナダは完全に自分一人になったことを知った。
 このピラミッドはサグナーラ王家の墓所だと、ラウェルスが言っていた。この上には歴代のサグナーラ王たちが眠っているのだ。その王の霊たちが、危機を救ってくれた。王たちは、死んでも祠を守る義務を果たしたのだ。それとも、救ってくれたのは、ルインの髪の腕輪のおかげかもしれない。
「ありがとうございました」
 ナダは上方にあるはずの墓所を仰いで、心から感謝した。
 あとは<精霊の水晶>を手に入れるだけだ。
 ナダは祭壇の前の台座に歩み寄ると細剣を床に置き、両手を台座に添えた。そして、少し緊張しながら、ラウェルスから教わった言葉を唱えた。

「炎は力。
 眠れる力を呼び覚まし
 燃え立たせるもの。
 我、ここに<炎の王>メライザの御名を称え
 その恵みに感謝するものなり」

 台座が光を発した。それが台座の上で、親指と人差し指で作る輪くらいの大きさに丸く収束し、台座の上の窪みに収まって実体化した。中心部が赤く染まった<炎精の水晶>が、そこで静かに輝いていた。
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