7.

「精霊までが狂っているのか?」
 愕然とするラウェルスに、再び水の精霊が飛びかかってくる。ラウェルスはナダを庇いながらそれをよけるが、身軽な精霊は宙返りをして向きを変え、すくせに再び向かってくる。
 いくら何でも精霊を傷付けるわけにはいかない。そう思うから、ラウェルスは攻撃を避けることしかできなかった。それに、たとえ攻撃したとしても、普通の剣などで精霊に危害を加えることなどできないのだ。いや、こんなにめまぐるしく動かれたのでは、そもそも剣を抜く隙もない。これでは埒が明かない。
「一度撤退しよう」
 ラウェルスはそう言ったが、容赦なく襲ってくる精霊の素早い動きをかわしながらでは、それもそんなに容易くない。
 そのとき、やはり精霊の猛攻をかわしながら、レルディンが言った。
「ナダ! あなたがなさい!」
「えっ?」
「ティララの指輪があるでしょう? この精霊を捕まえなさい!」
 どうして今まで気付かなかったのだろう。ティララの指輪は水に属する危害から身を守ってくれるのだ。ということは、水の精霊はナダを傷付けられない。
「待て!」
 ラウェルスはナダの腕を掴もうとした。しかし、ナダはそれを擦り抜けて、中央へ飛び出した。
 祭壇に近づかれると思ったのだろう、水の精霊は慌てて向きを変え、鋭い氷の粒と冷気を吹き出しながら、ナダに突進した。
「きゃあっ!」
 瞬間、ナダは目を閉じて顔を覆った。しかし、氷も冷気も当たっているのに、傷はおろか何の苦痛もない。
(そう、大丈夫なんだから!)
 ナダは吹きつける氷の粒と冷気の中で目を開け、真正面から飛び込んでくる精霊を見据える。
「ええいっ!」
 自分めがけて投げつけられた球を受けるように、ナダは飛び込んできた水の精霊を全身で受け止めた。その瞬間ティララの指輪は砕け散り、ナダは水の精霊を抱き込んだまま仰向けに倒れ込んだ。
 すかさずレルディンが駆け寄り、いつの間にか抜いていた細身の剣を一閃させた。その一撃を受けた精霊は、スッとナダの腕の中から消滅した。
 レルディンが言った。
「お見事でしたよ」
「はぁ……」
 ナダは身を起こした。ラウェルスがつかつかとやって来て、ナダの横に膝をつく。
「大丈夫か?」
「うん、ちょっと怖かったけど」
 答えながら、ナダはラウェルスに支えられて立ち上がった。そのナダの全身をさっと眺め、ラウェルスはムッとレルディンを睨んだ。
「何てことさせるんだ。いくらあの指輪があっても、効力の保証はないだろうが」
「大丈夫だと分かっているから頼んだのですよ。お陰で、わたしは剣を抜くことができました」
 レルディンは涼しくそう答えながら、細身の剣を鞘に戻す。
「だが、指輪は砕けたぞ」
 ラウェルスは言う。
「限度があったということだ」
「でも、無事だったでしょう?」
「腕が擦り剥けてるぞ」
「それは倒れたときに床に擦ったものでしょう? 指輪の効力とは関係ない」
 ナダは苦笑した。
「もういいよ、ラン。こんなの、ただの擦り傷なんだし」
 すると、ラウェルスはナダにも同じ目を向けた。
「女の子はな、体に傷作ったりしちゃいけないんだ」
 有無を言わせない、断固とした口調。
「あ……はい……ごめんなさい」
 ナダは思わず、謝ってしまった。
 するとラウェルスの表情はころりと変わって、優しい笑顔になった。
「よくやったよ。だが、あまり無茶はするな」
 そう言うと、ラウェルスはナダの亜麻色の巻き毛をくしゃっとかき回した。それから、再びレルディンに目を向けた。
「おまえの剣、魔法がかかってるのか?」
「ええ、一応。でないと、精霊なんて斬れません」
 それを聞いて、ナダは顔を曇らせた。
「殺したの……?」
「いえ。精霊は死んだりはしませんから。一度消滅しても、少しすれば再生します。そのときには、きっと狂気は消えていると思いますよ」
 狂気……この世界では最も精霊王の魔力が及ぶ祠の中に、どうしてそんなものが侵入しているのだろう……?
「どうなってるんだ……? 他の祠も、こうなのか……?」
 ラウェルスは眉を顰め、祭壇の台座の前に立った。その台座に、両手を副える。そして、高らかに唱えた。

「水は命。
生命を育み、癒すもの。
我、ここに水の女王ジェリドの御名を称え
その恵みに感謝するものなり」

 この言葉は、祠の<鍵>を使うときの言葉とともに、本来は管轄の王に教わるものだ。しかし、王子であるラウェルスは、全ての祠での必要な言葉を知っていた。
 台座が青い光を発した。
 それは台座の上に収束し、親指と人差し指で作る輪くらいの大きさの球形になる。その青い光の球は台座の上面の窪みに収まると、そこで実体をもつ水晶球に変化した。
 ラウェルスはそれを手に取ると、ナダに差し出した。
「ほら、これが<水精の水晶>だ」
 ナダは球を受け取り、しげしげと見つめた。透明な球の中心が青く染まっている。これが<水>であることを示しているのだ。
「ねえ」
 ナダは水晶球から目を上げて言った。
「センヌの街で、女の子が言ってたよね。お魚があまり来なくなったって。あれ、やっぱり本当かもしれないね。この水の祠がおかしくなってるから、影響受けて」
 ラウェルスは頷く。
「そうかもしれないな」
「女王様にお知らせするの?」
 ラウェルスは少し考えた。
「アリシア陛下だけには警告しておかないといけないだろうな。あとは陛下のご判断にお任せするしかないが。そして、警告したら、急いで俺の国の祠、風の祠にも行ってみる」
「そうですね」
 レルディンが同意した。
「急ぎましょう」
 


ナダたちは急いで水の祠をあとにした。
 王都センヌでアリシア女王に報告をすると、女王は当然のことながら、ひどく驚いた。しかし、女王は、いらぬ騒ぎを起こさないために、このことは自分一人の胸に収めておくことにし、すぐに何らかの対処をすると言って、ナダたちを安心させた。
 そして翌朝、ナダたちはラウェルスの故郷であるアディアーク王国へ戻ることになったのだった。

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