5.

 扉が完全に開くと同時に、カードの光は消えた。いったいどういう仕掛けになっているのかとカードをひっくり返してみたナダは、そこから記号が消えてしまっていることに気付いた。
「消えちゃった……」
「<鍵>は一度使うとなくなるんだ」
 ラウェルスは言った。
「もう、そのカードには何の力もないが、記念品でもしろ」
「うん」
 ナダは頷いて、飾り枠だけを残して白紙になってしまったカードを、再び衣の隠しにしまった。
 三人が扉をくぐると、背後で扉が閉まった。内側から外へ出るときには、カードの魔法の力がなくても開くのだろう。そう思ってナダは気にせずに、新たに現れた道を進んだ。
 扉をくぐる前の区域と殆ど同じ造りの洞窟の中を進むうち、最後尾を歩いていたレルディンがぽつりと言った。
「少し……変ですね」
 ナダとラウェルスは足を止めて振り向いた。レルディンは片膝をついて、通路の脇の水中を見つめている。
「蟹が小魚を捕らえています」
「え……!?」
 驚いたラウェルスは、自らも片膝をつき、水中を見つめた。つられて、ナダも膝をついて水中を覗き込む。
 大きな蟹が、その巨大な鋏に銀の魚を挟みこんでいる。
「バカな……」
 蟹の鋏の中でもがく魚に目を奪われたまま、ラウェルスは呟いた。
 しかし、蟹が魚を食べるのは当然のことだ。いくら塔から出たことがないナダでも、そのくらいは知っている。
「どうして、そんなに驚くの?」
 ナダは訊いた。ラウェルスはナダに目を向けた。
「精霊王の祠に住む生き物は、絶対に他の生き物を傷付けたりしない。祠の中に満ちてる精霊力で生きていけるから、餌を捕る必要もない」
「そうなの……?」
「ナダは、もう一度さっきの蟹を見た。囚われの銀の魚の美しい体は、既に引きちぎられていた。
「だったら、どうして……?」
「分からないな」
 ラウェルスは立ち上がった。
「何かがおかしいのは確かだ。少し注意をしながら進まないといけないな」
「そうですね」
 そう言って、レルディンも立ち上がった。
 最後まで水の中を見ていたナダは、ラウェルスに腕を引かれて立たされた。
「ナダ、水には触るな。それから、絶対に俺から離れるな」
 厳しい表情でそう言われ、ナダはそのままラウェルスに手を引かれて歩きだした。


 淡く光る地底湖を渡る道をもう暫く進むと、すっと視界が開けた。
 右の方に大きな滝がある。そのザーッという音が耳を聾する、広い洞窟広場だった。その滝壺から流れ出る幅の広い川が洞窟広場を二分し、その先に湖があった。
 不意に、滝の音に混じって、どこかから声が聞こえた。
 三人は一斉に反応した。
「今、声が……」
「した、な」
「他の巡礼者かな?」
 ナダはキョロキョロとした。そのとき、また声がした。今度は明らかに、女性の悲鳴だと分かった。
「どこだ!?」
「あそこです」
 レルディンが指差して、腰から細身の剣を抜きながら湖の方へ駆けだした。見ると、湖に突き出した通路より一段低い砂地に、奇妙な一団がいる。緑ずくめの四人組に囲まれ、一人の女性がうずくまっているのだ。
「助けなきゃ!」
「ああ。来い、ナダ」
 二人はレルディンの後を追って駆けた。
 ナダたちが駆けてくるのに気付いた女性がハッと顔を上げた。
「ああっ、助けてください!」
 その叫びで振り返った者を、すかさずレルディンの剣が切りつけた。残りの三人は攻撃目標を変更し、わけの分からない叫びをあげて、レルディンに襲い掛かった。
 ラウェルスが、その戦闘の輪に加わる。しかし、ナダは砂地に入った瞬間に、ぴたりと足を止めた。
 それは、人間ではなかった。遠目に緑色の服と見えた物は美しい緑の鱗、人間と見えたその姿は魚じみた容貌の奇怪な生き物だったのだ。
 その生き物とラウェルスたちの戦いを茫然と見つめていたナダは、ハッとした。その生き物の一人が、再び女性の方を向いている。
「いっけない!」
 ナダはラウェルスたちの戦闘の場を迂回して遮蔽物をなくし、腰帯から左右一本ずつ短刀を抜き取った。
 そこでピタリと動きが止まる。表情に迷いが浮かぶ。
 しかし次の瞬間、今にも女性に手が届きそうになっていた緑の生き物に向けて、ナダは素早く短刀を投げ飛ばした。二本の銀光はナダの狙ったとおり生き物の緑の鱗に覆われた両足首に刺さり、その生き物は悲鳴をあげて砂に倒れた。
「よくやった!」
 そう言いながら、ラウェルスも別の一体に切りつけた。
 緑の鱗に覆われた魚人めいた生き物の一人が、よろよろと、それでも精一杯に急いで湖の中に戻ろうとした。その背をレルディンの細身の剣が貫いた。レルディンが剣を抜くと、それはぱたりと倒れて、やがて動かなくなった。見ると、砂地に倒れて動かなくなった者が、もう一人いた。
 ラウェルスは、自分が今切りつけた生き物が湖に戻ろうとするのを、止めはしなかった。それを追って、ナダが短刀で両足首を貫いた者も、両手で這いずりながら、湖に戻っていく。レルデインがその二人をも止めを刺そうとしているのを見て、ナダは叫んだ。
「やめて!」
 レルディンは、静かにナダを振り返った。
「もう、いいじゃない。あんなに怪我してて、帰っていくんだよ?」
 レルディンは無表情にナダを見ていたが、やがて静かに自分の剣を収めた。手負いの魚人たちは、水中に消えていった。
 ラウェルスが、ナダの傍に歩いてきた。
「偉いな、ナダ」
 しかし、ナダはしょんぼりと俯いた。
「どうした?」
「あたし……あたし……初めて本当に生き物を刺した……」
 ナダは自分で自分の体を抱いた。
「どうしても殺せなくて、足首狙ったの……それでも、凄く怖かった……」
 ラウェルスは微笑んで、ナダの頭に手を置いた。
「殺すことに慣れる必要なんかない」
「うん」
 ナダは小さく頷いた。
 レルディンが傍に来た。
「どうやら彼女は無事なようです」
 そう言ったレルディンの後ろから、襲われていた女性が進み出てきて頭を下げた。
「危ないところをお助け戴き、本当にありがとうございました」
「ああ、無事で何よりだ」
 ラウェルスは悠然と微笑んでそう言ったが、その横のナダは、驚きに何も言えなかった。
 幼い頃に読んだお伽話の挿絵……それが目の前にいる。青みがかった腰までの長さの波打つ黒髪、裸の華奢な上半身、そして腰から下は……ここの湖水そっくりの美しい青い鱗に覆われた魚。たっぷりとした半透明の白い尾鰭もしなやかで美しい。微笑んだ白い顔はとても可愛らしく、年齢不詳の若さをもっていた。
「にん……ぎょ……?」
 ナダはやっとのことで、そう言った。
「はい」
 人魚はにっこりと笑った。
「ティララといいます」

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