4.

 翌朝、早く。
 ナダ、ラウェルス、レルディンの三人は、王都センヌを西門から出て、<水の祠>があるセンヌ湖への巡礼道を歩いていた。どの国のどの祠でも、王都から祠までは巡礼道を徒歩で行くのが巡礼のしきたりだ。そのため、ラウェルスもレルディンも、それぞれの愛馬は宿の厩舎に預けてある。
 幸い、王都から湖までは、徒歩でも半日もかからない。夏の陽射しとはいえ疲れるほどにはきつくなく、澄み切った晴天の下、のんびりと散歩気分を楽しめる……はずだった。
「おい、ナダ」
 ラウェルスが、今朝起きてから十数回めの声をかけた。そして、ナダは十数回めの無視をした。黙ったまま、ラウェルスの数歩先を歩いていく。
「待て、ナダ」
 ラウェルスは大股でナダに追いつき、少女の細い腕を掴んで引き止めた。ナダは別に逆らわず、そのまま足を止めた。レルディンもその少し後方で足を止め、二人の様子を眺める体勢に入った。
「まったく……」
 ラウェルスはナダから手を離さずに溜め息をつく。
「どうしたっていうんだ? 昨日の晩からヘンだぞ?」
 そう、今朝からではない。無視が始まったのは今朝からだったが、昨夜からずっと、ナダの様子はヘンだったのだ。何かを思いつめているようで……。
「ランには関係ない」
 呟くと、ナダは再び歩きだそうとした。が、ラウェルスが腕を引っ張って止めた。
「待てったら。だったら、どうして俺を無視してるんだ?」
「レルディンのことだって無視してる」
「あいつは君に声をかけてない」
 ナダは俯いた。
「さあ、話せ。いったい、どうしたんだ?」
 ナダはちらりと青灰色の目を上げ、また伏せた。そして呟いた。
「王様は女の人だった……」
「……?」
 ラウェルスは何の脈絡もなさそうな言葉に目を丸くした。
「そりゃ、ウルバースは女子相続の国だからな。国を治めるのは、代々女王だ」
「……すっごく優雅で、気品があって……キレイな人だった……」
「ああ、確かに……」
 ラウェルスは要領を得ない顔で頷く。
 ここで、ナダは言葉を詰まらせた。ラウェルスは、その顔を覗く。そして不意に、面白がるような笑みを浮かべた。
「分かったよ。アリシア陛下と自分を比較して落ち込んでたんだな? バカだな」
「ひどい……!」
 ナダはキッと顔を上げた。
「ランに何が分かるの!? 王子様なのにっ!」
 昨日王城でアリシア女王を見たとき、ナダは記憶もなく身元も分からない孤児である自分を、ひどく引け目に感じた。これが男の王だったなら、ナダはさほど気にしなかっただろう。しかし、同じ女だったから、比べてしまった。
 そして、ラウェルスが、あまりにも王子だったのだ。勿論、彼が王子であることは最初から分かっていた。しかし、あのときほどラウェルスのことを王子なのだと意識したことはなかった。ナダは思い知らされたのだ。ラウェルスは、自分とは全く違う世界の人間なのだ、と……。
 ラウェルスは呆れたように溜め息をついた。
「やっぱりバカだよ。アリシア陛下や俺が王家の人間だからって、何か違うか?」
「違うよ! ぜーんぜん違う!」
「じゃあ、そうだとしても、だ。それが人間の価値か?」
 そう思うわけではない。そう思うわけではないけれども……。
「でも……だって……」
 言いよどむナダを見て、ラウェルスはニコリと笑った。
「釈然としないんだったら、自信をつけさせてやろう」
 そう言うと、ラウェルスは掴んだままだった片手を引っ張って、グイっとナダを引き寄せた。そして、もう片手でナダの顔を上げさせると、その額に口付けた。
 ナダの頭の中は、真っ白になった。
「女王陛下へのキスは宮廷儀礼だ。けど、これは違う。俺にとっては、女王よりも君の方が上だってことだ。何なら唇でもいいぞ?」
「……!!」
 ナダは耳まで真っ赤になった。
「ば……ばかっ! ばか、ばか、ばかっ!」
 ナダはラウェルスの腕からもがき出ると、短刀を一本投げつけて先へ走っていってしまった。
「ふー、危ない」
 短刀をかわしたラウェルスは、そう言いながらもクスクスと笑っていた。レルディンが飛んできた短刀を拾い、ラウェルスに歩み寄って手渡す。
「どうやらアディアークの王子殿下は、随分と女性の扱いがお上手なようですね」
「まあな。だが、気をつけないと、あの子の場合は命取りだ」
 そう言って、ラウェルスは渡されたナダの短刀を手の中でクルリと回し、楽しそうに笑った。


 大地に嵌め込まれた青い宝石……。その形容がぴったりだった。
 それは何という青さだろう。深くて鏡のように静かで、一片の曇りもない青。神秘的で、かといって近寄りがたいわけではなく、癒しを求めてその淵に跪きたくなる。生命を洗い清められるようなその青さは、天上のものとしか思えない。
 それがセンヌ湖……水の精霊王ジェリドを祀る祠を抱く湖だった。
「中心に小さな島があるだろ?」
 ナダが朝のわだかまりを忘れて湖の美しさにひとしきり感動した後、ラウェルスが指差して言った。
「そこに<水の祠>がある」
「建物とかはないのね」
 ナダは疑問に思って、そう言った。緑の小島の上には、白い門のようなものしか見当たらないのだ。
「ああ、言い方が悪いか。正確には<水の祠>への入り口がある、だな。まあ、いい。行けば分かる。行くぞ」
 そう言って歩き出したラウェルスと共に、ナダとレルディンも、湖に架かる小島への橋へ向かった。
 橋は豪華な浮き彫りを施して磨き上げられた石造りで、陸から中心の小島まで真っ直ぐに伸びていた。幅もかなりあるが、ナダはいちばん端を歩いた。手摺から下の湖水をずっと見ながら歩いているのだ。
 青い宝石のような湖水の中に、更に色の違う宝石を散りばめたように魚たちが見える。中心に向かうにつれてどんどん深くなっていっているはずなのに、湖水は青色の濃さを増すだけで、いつまでも湖底が見えているのも驚きだった。
 橋が終わり、足が小島の小道の石畳を踏んだ。
 すぐ目の前に、さっき見た白い門がある。波の意匠の複雑な曲線を交えながら弧を描く、白い大理石の門だ。そして、その下には地下へと続く階段がある。その奥には、仄かな青白い光が満ちいてる。
 ラウェルスの先導でナダたちは階段を下りた。下りきるとそこは地底湖洞窟で、水中から暗い天井に向かって、所々に鍾乳石の柱が立っている。地上のセンヌ湖と同じような青い水が淡く発光していて、その幻想的な光の中に、橋のように細い道が伸びていた。
 道を進むと、すぐに両開きの石の扉が行く手を遮った。その一枚一枚にはウルバース王家の紋章が浮き彫りにされていて、昨日女王からもらった<鍵>のカードに記されたものと同じ記号が、割り印のように二枚の扉に跨って刻まれていた。
「ナダ、昨日のカードを出してみろ」
 ラウェルスに言われて、ナダは衣の隠しから<鍵>のカードを取り出した。
「よし。その記号の書いてある面を扉に向けて、こう言うんだ。『水は生命』」
 ナダは言われたとおりに、神秘的な方法で描かれた複雑な青い記号を扉へ向ける。そして、言った。
「水は生命」
 その瞬間、カードの青い記号が青い光を発した。それはそのまま扉へと投影されて、そこに刻まれた同じ形の記号と重なる。すると、石の扉は重々しい音を洞窟じゅうに響かせながら、ゆっくりと奥へと開き始めた。

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