水の祠 〜碧玉の湖〜

1.

 このアラウィサクの世界には守護神ラトカーティスの他に、地・水・火・風を司るそれぞれの精霊王が存在する。それぞれの精霊王にはそれぞれの祠があり、精霊王の力はそこから世界じゅうへ注がれている。その恩恵で、世界は、そして世界のすべての存在は、生きていくことができるのだ。
 その恩恵に感謝するため、または更なる恩恵を願うため、いつの頃からか人々はそれぞれの祠を巡礼するようになった。ラトカーティス神の神殿ならどんな村や街にも、規模の差こそあれ必ず一つは存在し、人々はいつでも好きなときに好きなだけ参詣できる。しかし、精霊王の祠はそう簡単には参詣できない。世界じゅうにそれぞれ一つずつしかない上に、一つの国にどれか一柱の精霊王の祠しかないのだ。だから、精霊王の祠の巡礼は、人々の憧れだった。


「でな、祠の祭壇に行けば<精霊の水晶>を授けてもらえるんだ。まあ、神殿でもらえる聖印みたいなものだな」
 ウルバースの王都・水の都センヌへ続く街道に大きな漆黒の雄馬サリオスを歩ませながら、ラウェルスは後ろに乗せているナダに説明していた。
 その横に、乗り手にふさわしい優美な純白の雌馬(名はテュイアという)を歩ませているのは、メリトの廃墟で出会った青年、レルディンだ。彼は、自分の質問にも答えてもらうのだから、と言って、同行を申し出た。ナダにもラウェルスにも、それを断る理由は勿論なかった。
「じゃあ、あたしたちも巡礼するのね!」
 ナダは嬉しかった。巡礼するということは、このアラウィサクじゅうを回るということだ。ずっと塔に閉じ込められて育ったナダにとって、今までならそれは叶うはずのない途方もない夢でしかなかったのだ。
「でも、どうして、あのおじさん、<精霊の水晶>なんか欲しいのかな?」
 その問いには、今まで静かにテュイアを歩ませているだけだったレルディンが答えた。
「<精霊の水晶>には僅かですが精霊力が宿っています。普通の人にとってはお守りのようなものでしかないでしょうけど、魔術師となれば少しは違うでしょう」
「って?」
「その僅かな精霊力でも、自分の力の足しにできると思いますよ。生命の源は四精霊の力……」
「あのおじさんは生命の研究をしてる」
 ナダがそう引き継ぐと、レルディンは頷いた。
「そういうことです」
「そしたら……あの死体とか、わさわさ生き返ったりするの……?」
「まさか。そんな単純なものではありませんよ、生命というものは」
 そう言ったレルディンの口調はどこか冷たくて、ナダは少しドキッとした。
「そう……よね。だけど頑張って研究したいんだね、あのおじさん。ほんの少しでも、何かが分かる可能性があるなら……」
 ナダは少し、その気持ちがわかるような気がした。自分だって、失った記憶の手がかりが得られるなら……自分が誰なのか知る手がかりが得られるなら、と思う。
「大丈夫。きっと見つかるよ」
 不意にラウェルスがそう言った。ナダは顔を上げて、炎の髪の王子の後ろ姿を見つめた。蹄の音を十回程聞く間、そのままでいて。
 それから、小さく頷いた。


 メリトの街の廃墟を出発してから四日後、ナダたちは川が縦横に巡らされた美しい街、水の都センヌの門をくぐった。
 川の水はどこまでも透き通って美しく、その透き通り方も普通の綺麗な水というのとは感じが違う。太陽の光を反射しなくても水そのものが煌めいているような、不思議な透明感だ。そしてその中を、色とりどりの宝石のような魚たちが気持ちよさそうに泳いでいた。
「綺麗ねぇ。こんな綺麗な水、あたし見たことない」
 サリオスの背から降りて水辺に屈み、ナダはもう何度も言ったその言葉を繰り返した。そんなナダを見て、ラウェルスは呆れていた。
「そりゃ、君にとっては何でも初めてだろうが、よくもまあ、飽きもせずに、いつまでも」
「だって、こんなにキラキラしてる。どうしてかな?」
 ナダがそう言ったとき、ちょうど通りかがった籐の買い物籠を提げた女性が足を止めた。
「ここは<水の国>だから当然だよ。水の精霊王ジェリド様の恩恵をどの国よりも多く受けてるから、この国の水は他のどの国の水よりも綺麗なんだ。特に、この都はね」
 女性はとても誇らしげにそう教えてくれた。すると、その女性のスカートの陰から彼女の子供らしい幼い少女が、ひょっこり顔を覗かせた。
「でもね、最近お魚さん、あまり来てくれなくなったの」
「え? でも、こんなにいるよ?」
 ナダがそう言うと、少女は首をぶんぶんと横に振る。
「もっともっと、いっぱいいたの」
「また、この子はそんなこと言って」
 母親がたしなめた。しかし、少女は言い張る。
「だって、クッピちゃんもいないし、ミルルちゃんもいないもん!」
「クッピ? ミルル?」
 ナダが首をかしげると、母親は苦笑した。
「この子、気に入った魚に名前を付けてるんだよ。本当に見分けてるとは思わないけどね」
「ちゃんと分かるもん!」
 反論する少女に、母親は溜め息をついた。
「はいはい。さ、もう帰ろうね。じゃあね、旅の人たち」
 母親は少女の手を取った。少女は慌てて言った。
「本当だからね! 信じてね、お姉ちゃん! ばいばーい!」
「ばいばい」
 ナダは手を振って母娘を見送った。そして、再び水中に目を戻した。
「本当にもっといたのかな?」
「うーん、言われてみればそんな気もするが……。俺だってそんなに何度もここへ来たことがあるわけじゃないからな」
 答えてラウェルスも水中の魚たちを目で追っていたが、レルディンが二人の背後から声をかけた。
「そろそろ行きませんか?」
「ああ、そうだな」
 ラウェルスは顔を上げた。
「行くぞ、ナダ」
「あ、うん」
 ナダは頷いてきびすを返すと、サリオスの手綱を引くラウェルスに並んだ。

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