3.

 街の中央には大きな建物があった。石造りの部分が多いため、他の建物よりはずと原形を留めている。何とか見て取れた、入り口の上の上に刻まれた紋章は、このアラウィサクの世界の守護神ラトカーティスの印。どうやら、ここは神殿だったらしい。
 レルディンはその前で足を止め、そこが目的の場所であることを確かめるように目をすがめると、ナダたちを振り返った。
「ひょっとすると変なものが出るかもしれないので、それなりの準備をしておいてください」
「ヘンな……もの……?」
 ナダは不安げに訊き返す。その顔を覗きこみ、ラウェルスがからかうように言った。
「だから、さっき言っただろ? <歩く死体>だよ」
「ランっ!」
 ナダはおずおずと後じさって、ラウェルスに抗議の目を向けた。しかしラウェルスがそんなことを気にするはずもなく、王子はククッと笑ってナダの手を取った。
 その手に力が籠もる。
 ナダが見上げてみると、ラウェルスはさっきまでとはまるで違う真剣な眼をして、建物の奥の闇を見つめていた。その闇の中に、レルディンの姿が消える。それを追って、ナダたちも闇の中へ入っていった。
 建物の中は、全くの闇というわけではなかった。崩れている場所から所々外の薄い光が洩れている。しかし、光の当たらない場所にはやはり、瓦礫とともにいかにも怪しげな闇がわだかまっていた。
 もしかすると、そこに「変なもの」が潜んでいるのかもしれない。そう思うと、ナダは気が気でなかった。積もった瓦礫の崩れる音がするたび、心臓が止まる。
 すると、それが分かるのか、そのたびにラウェルスがナダの手を握る手に少し力を込めた。ナダを安心させようとしているのだろうが、そもそもの初めに<歩く死体>などと言ってさんざん怖がらせたのはラウェルスなのだ。
 焼けた絨毯の残骸の上を進むうち、埃まみれの祭壇に行き当たった。三人はそこでラトカーティス神への略式の祈りを捧げてから、その奥へ回り込んだ。そこにあった扉は燃え落ちている。そして、その先の部屋では思いがけず松明が燃えていて、奥に下り階段があるのが見て取れた。
(明かり……? 誰かここに住んでるの……?)
 それを問おうとしたとき、ナダは床に何か黒っぽい大きな物体が転がっているのに気付いた。
 何か……何か、ではない。
 これは……。
「……死体……!」
 ナダは思わず叫んだ。すると……。
 それが合図になったかのように、黒焦げの死体がむっくりと起き上がったのだ。
「……!!」
 実物を見てしまうと、ナダはもう声も出なかったし、体も動かなかった。
 ラウェルスは自分の冗談が現実になったことに一瞬茫然と立ち尽くしたが、身に付いた反射的動作で、すぐに剣を抜き放っている。その向こうで、レルディンも細身の剣を抜いていた。
ラウェルスが緊張気味に問う。
「これか? 変なものって」
「そうです」
 答えるレルディンの声は、木々の青葉の間を吹きぬけるそよ風のように涼しい。ラウェルスは、今度はニヤリと笑った。
「本当に出るとはな」
「それも黒焦げです。さすが焼死体ですね」
(うそぉ〜……どうしてそんなに平気なのよぉ〜……?)
 ナダにはとても理解できなかった。じっとしていてさえ、耐え難いほどおぞましい黒焦げ死体なのだ。それが……それが……!
 襲ってくる!
「死体ふぜいが!」
 ラウェルスの剣一閃、黒焦げ死体は骨まで真っ二つになった。所詮は死体、動きは少々鈍いのだ。
 しかし、それで終わりではなかった。
 階段から別の死体たちがぞろぞろと上がってくる。おまけに、今ラウェルスが斬った死体もまだ動いている。足のない上半身はピコピコと跳ね回りながら腕を振り回し、頭がないために何も見えないと思われる下半身は、でたらめに歩き回っている。
「さすが死体、しぶといな。おまけに、ぞろぞろと、まぁ」
 そう言うラウェルスの口調はおどけている。そして、レルディンの声も、やはり涼しい。
「できるだけ細かく斬ってください。そうすれば害はなくなります」
「分かった。ナダ、少し下がってろ」
 ナダは当然、素直に従った。
 かくして、ナダの目の前では、およそ信じられない、信じたくない光景が繰り広げられた。二人の美男と十数体の黒焦げ死体の大乱闘だ。ナダは怖さと気持ち悪さで、立っているのもやっとの状態だった。
 それなのに……。
 ふと気が付くと、黒焦げ死体のうちの一体が乱戦から抜け出し、ナダの方へ向かってきていた。上半身だけの腕が一本だけの死体が、その片手を使って這い擦ってくる。
「や……だ……」
 ナダはカチコチに凍りついた。それでも何とか短刀を抜いたものの、震える手から落ちてしまい、投げることができない。ギクシャクと後じさることしかできないナダに、半切れの黒焦げ死体はどんどんと近づいてくる。なおも下がっていくナダの踵が瓦礫に当たり、引っかかって態勢を崩して尻餅をついてしまう。
 床にへたり込んだまま、今度は立つこともできない。
(誰か……助けて……!)
 そう思っても、ラウェルスもレルディンも取り込み中だ。それに、ナダは声を出すこともできなかった。
 死体と目が合ってしまう。黒焦げで焼け爛れている顔の落ち窪んだ眼窩から覗く、白く濁った目。ますます固まってしまったナダに伸ばされる、一本だけのボロボロの腕。
 それがナダの足首を……。
「いやあああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
 ナダはもの凄い悲鳴をあげて、辺りの瓦礫を投げまくりだした。身の回りに何もなくなってしまうと、今度は短刀を抜いて両手で死体に振り下ろした。涙の溜まった目をきつく閉じ、奇声をあげつつ何度も何度も振り下ろす。とにかくナダは、黒焦げ死体を両手でめった突きにしていた。
 どのくらいそうしていたのかは分からない。
 誰かに両手を掴み止められて、ナダは我に返った。
「ほらほら、もう大丈夫だから」
 そう言われて、ナダは声の主を見上げた。ラウェルスだ。苦笑している。ナダの顔が呆けていき、そろそろと自分の足元を見た。そこにはもう、死体はなかった。ホッとして……心底ホッとして、全身から一気に力が抜ける。
「ラン……」
 溜め息とともに、疲れたように囁く。
 ラウェルスはぐったりと脱力したナダの両脇に手を差し入れて立たせてやりながら、からかうように笑った。
「何だよ。俺は君が死体をめった突きにしてる姿の方が、よっぽど怖かったぞ」
「ひどい……!」
 ナダは膨れてラウェルスを下から睨み上げ、まだ握ったままだった短刀を振り上げた。
「おっと。俺までめった突きにするなよ」
「……」
 ラウェルスはますます膨れるナダを引き寄せて、片手で少女の頭を抱きこんだ。
 戦いが終わった後の床には、切り刻まれた死体とナダが投げまくった瓦礫が散乱していた。レルディンの言ったように、ここまで刻まれてしまうと、さすがの死体も動けなくなったらしかった。
 レルディンは階段の傍に何事もなかったかのように立っていた。じっと階下を見つめているようだったが、ふと顔を上げてナダたちの方を見ると、そちらへ歩み寄った。
「とりあえず、もう暫くは新手は来ないようですね。今のうちに地下へ下りましょう。そこに目的の人物がいるはずです」
「目的の人物……? こんな所に住んでるヤツがいるのか?」
「ええ、おそらく。それから、ナダ」
「はい?」
「ここは<歩く死体>だらけだと思います。が、出会うたびにいちいちキレないでください」
 ひどく涼しげにそう言って、レルデインは先に階段を下りていった。

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