滅びの街

1.

「ここが、そうなの……?」
 ナダの目の前に広がるものは、荒れ果てた街の残骸だけだった。
 黒く煤けた石壁。炭と化している崩れた木立や柱。散乱する瓦礫の山。おまけに、そこまで演出してくれなくてもいいのに、背景の空にはどんよりとした灰色の重い雲が垂れ込めている。
「みんなの言ったとおり、か……」
 あまりの無残な光景に、さすがのラウェルスも愁眉を顰めていた。
 ここはアディアークの北隣に位置する王国、ウルバース。その領内の街の一つ、メリト。
 ここまで来るのに、およそ一ヶ月かかった。勿論、途中何度か、ラウェルスの兄王子セシオスからの刺客に襲われはしたが、ラウェルスはそれらの全てを撃退してきた。その刺客も、国境を越えると姿を見せなくなり……。
 とにかく無事、二人はここまでやって来た。ナダがヴォーヌに拾われたという街、メリトに。12年前、原因不明の大火災で丸ごと燃えてしまったというこの街に。
 ここへ来てみることにしたのは、ナダの記憶を戻す手がかりを求めてのことだった。ラウェルスは自分の国から出たかったが別に目的地があるわけでもなく、ナダも希望地を言えるほど世界のことを知らず、それならばと決めた目的地がこの街なのだった。
 ウルバースの国に入ってから、二人はメリトのことを人々に尋ねながら進んだ。その人々は皆、同じことを言った。
「あれは滅びの街。呪われている。焼け死んだ人々の呪いがかかってるんだよ。あの街はいつまでも廃墟のまま恐ろしげな姿を晒して、命あるものの侵入を拒んでいる」
 そして、このアラウィサクの世界の守護神ラトカーティスの御名を唱えながら、魔除けの身振りをするのだった。
 今、目の前の光景を見て、そんな言葉の意味がよく分かった。12年前の惨事の跡そのままの光景。幼かったナダは、こんな所でただ一人泣いていたのだ……。
「どうする、ナダ? 一応街の中、歩いてみるか?」
 ラウェルスが訊いた。
 ナダは無残な街の残骸を悲しく眺めた。あまり気持ちのいい場所ではない。でも……。
「そうね、そうする。ここがあたしの故郷なんだろうし、お父さんやお母さん、ここで眠ってるはずだから……」
「分かった」
 ラウェルスは頷いて、サリオスの手綱を放した。そして、そのしなやかな黒い首筋を軽く叩いた。
「おまえはここで待ってろ」
 漆黒の大きな雄馬は頭を少し下げて、承知の意を示したようだった。サリオスはよく躾られていて、繋いでおかなくても大丈夫なのだ。うってつけの獲物だと思う盗賊は多いだろうが、そういう者たちはすぐに自分の愚かさを思い知ることになる。全身を馬蹄型の痣だらけにされて。更に運の悪い者は、骨を折られて。サリオスは主人であるラウェルスと、ラウェルスが許可した者しか自分に触れさせないのだ。
「すぐに戻るからね」
 ナダはそう言ってサリオスの鼻面を撫で、ラウェルスと共に故郷の街の残骸の中へと入っていった。

 静かだった。どこを見ても何かの燃えカスや煤けた瓦礫ばかり、剥き出しの地面には雑草の一本も生えていない。今は夏、鮮やかで艶々した緑が溢れる季節だというのに。
 命あるものの侵入を拒んでいる……この国の人々は皆ナダたちにそう言っていたが、そのとおりのようだ。この静けさは、死の静けさ。新たな草木が生えてこないのは、この場所が完全に死に絶えているからなのだ。それが、この地の呪い……。
 炭化した家の柱の残骸が、不意にぼろぼろと崩れる。風が吹いて、何かの燃えカスが目の前をカラカラと転がっていく。
 こうして、この街は徐々に風化していくのだろう。それでも、忌まわしい伝説だけは生き延び続けるに違いない。それが、この死に絶えた街が生んだ、唯一の生き物なのかもしれない。
 それにしても……。
「ねえ、ラン。変だと思わない?」
 ナダが死の沈黙を破って、横を歩く炎の髪の王子に声をかけた。
 王子を「ラン」と呼んだのは、この国に入る前に本人がそうするように言ったからだった。忍びの旅なのに人前で「王子様」と呼ばれるのは好ましくない。それでラウェルスは、ラウェルス=ラン=アディアークというフルネームの内の幼名部分の「ラン」と呼ばせるようにしたのだった。
 ラウェルスはナダに「ラン」と呼ばれることを、かなり気に入っているらしい。ひどく満足げに返事をした。
「ん? 何がだ?」
「あのね、死体が一つも見当たらないなー、と思って」
「ああ、俺もさっきから気になってた」
 答えて、ラウェルスは改めて周囲を見回す。
 そう、この街の住人はナダ以外全て焼け死んだというのに、さっきから一つも、本当に一つも死体を見かけないのだ。ナダもラウェルスも、別に敢えてそんなものを見たいわけではなかったが……。
「白骨とか一つくらい転がっててもよさそうなのに……どうしてかな……?」
「さあな。みんなあれだけここを恐れてたんだから、わざわざやって来て埋葬してやるような奇特なやつはいないだろうし……」
 ラウェルスはそこまで真顔で言ってから、不意に楽しげな笑みを浮かべた。
「ひょっとするとだな……むっくりと起き上がってだな、どこかへ自分で歩いて行ったのかもな」
「へ……ヘンなこと言わないで」
 想像したくない。死体がひとりでに歩いているところなんて……。ナダはぶるっと身震いして、我が身を抱きしめた。
 それを面白がって、ラウェルスが更に言う。
「だって、そのくらいしか考えられないだろ? それでさ、生きてる人間が通りがかったら、襲い掛かったりするんだ」
「やめてってば!」
「本当だぞ。あっ、ナダ、そこ!」
「やあああああああああああああっ!!」
 ナダはしゃがみ込んで頭を抱えた……りせずに。
「わっ、ナダ!」
 ラウェルスは慌てて身を翻す。ナダが、腰の短刀を投げてきたのだ。しかも、目を閉じて方向も見定めずに、次々と投げる。
「こらっ! 短刀は危ないって! おいっ!」
 と……。
 キーンと澄んだ音がした。そして……。
「危ないでしょう? 遊ぶのなら、もっと別の場所ですればどうですか?」
 聞き慣れない、涼しげな声が聞こえてきた。

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